「意識だけ高い系」がバッサリ切られてるどころかもう切り刻まれてるレベル

「意識だけ高い系」という言葉の解釈にもいろいろあるでしょうが、僕の見たところ、無駄な自己アピールなどを除くと、その第一の特徴は、本人に何の専門性もないこと。

もうひとつは、専門性がないがゆえに自慢するものが「人脈」か「評価されない活動歴」「意味のない頑張り」程度しかないことです。

意識だけが高く、そして高い意識を評価されない。

彼らはよくサークルや学生団体を作り、「ミーティング」や「勉強会」や「イべント」「メディア作り」などと称して仲間と集まるのが好きです。

外資系のホワイトカラーやソーシャルビジネスをやっている大人たちと接点のあるタイプも多いでしょう。

そういう「つながり」の中で仕入れた知識をドヤ顔で吹聴することで、夜な夜な飲み会に行って「自分すごい」をアピールするわけです。

いろいろな知識を広く浅く持っているだけで、専門性も独自性も何もない。これではただの「歩く事例集」です。

その人からしか聞けない話があるなら価値はあるけれど、それがないなら、ウィキペディアや食べログなどインターネット上の検索サービスのほうがはるか役に立つ。

あらゆる知識がインターネット上で探せる時代に、「出来の悪いウィキペディア」や「出来損ないの食べログ」を目指しても、その人に未来はありません。

平均顔は美人を作りますが、平均知能人間はウィキペディアの劣化コピーにしかなりません。

また、人脈がいくら広くても、インターネットにはかなわないでしょう。

「出会い系」を例に挙げるまでもなく、縁もゆかりもない他人同士がキーワードひとつで直結できるのがインターネットです。

「顔の広さ」や「持っている名刺の数」なんて、もう何の価値も生み出しません。

ソーシャルメディアの弱い人脈で他人とつながり、そこでエセ社会勉強の成果を披露しているだけの「意識だけ高い系」は、インターネット文化に勝てないのです。