祖母がリアルおしんで、小学校に上がる年に奉公に出されて、たかだか6歳の女の子がよその家で働くお金を実家があてにしてた時代が本当にあったんだよね。近所の子は全員小学校に行って読み書き算盤を習うのに自分は「実家を助ける」という名目で働かされたという現実を何度も聞かされた俺。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
祖母はかなり大きくなってから自力で読み書きを得たので書く文字が汚い、というのがずっとコンプレックスだったし、「勉強が出来ることは幸せだ」と孫達に勧めながら「自分は学びたかった」という恨みも孫達にぶつけてた。あの葛藤はかわいそうだった。
「身の丈」かぁ。これ以上無い酷な言葉だな。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
「今の子は贅沢だ」「自分の頃は?」という恨み言を山程聞かされたけどそれを嫌だとか(まぁいい気分ではないけど)思う以前に「おばあちゃんかわいそうだな」っていう気持ちが大きくて。人並みに学べて人生の選択の幅を得られたらこんな年端もいかない小さな子に恨みをぶつける事もなかったのにって。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
小学校に上がる前に近所の仲良しの子達と同じように遊んでいたのに、自分だけが小学校にあがれずによその知らない家で住み込み奉公して庭を掃いたり火を起こしたりしてる側を、汚れのない着物を着て風呂敷に学用品を包んで学校へ歩く友達を見る気持ちがどんなだか、分かるか?
って何回も聞いた。— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
学校に行ってねから賃金をちょろまかされても分からない、足し算も掛け算もろくに出来ないからいい仕事に就けない、字が読めないと困るから竈門や風呂の焚き付けにされる新聞を火の番しながらコッソリ読んで必死で覚えた。書けるようになったのは随分先だ。
祖母が私の名を書くお年玉袋は捨てられない— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
字が読めない=頭が悪いと判断されて奉公が終わっても同年代から仲間に入れてもらえなかった。「大人の仲間外れがどんなに辛いか分かるか?」字が読めないから言葉を知らない、知識がないと判断されて話し合いに誘われない、「お前に言っても分からねべ?」とのけ者にされる。
学ぶ機会がゼロの怖さ。— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
祖母の話は約100年前の日本の話だけど大臣の「身の丈」とはつまりこういう時代に戻れって事なのかなと数日考えてた。21世期のこの令和の時代に。「学」が無いのは「人権」が無いに等しい時代に子供時代を過ごした祖母はその生涯を人に見下げられていて気の毒だった。強く生きればと言うのは余りに酷だ
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
あの時代「モラハラパワハラセクハラ」という言葉も概念も無く無防備に晒された子供だった祖母の、その人生に落とされた暗くて濃い影を思うとかわいそうで泣ける。「学が無いから」と黙って耐えるしか術が無かった祖母は大人になっても親になってもそのままで、実の子供にも見下げられていた。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
「そうならない為にはどうしたいいのか」という発想が無くて、「じっと耐えてその時間をやり過ごす」方向しか見つけられなかった事に『学習を奪われた子供がその先過ごす人生』の辛さを嫌というほど見てきた。こんな地獄があるか。想像力の無い大臣よ。人から「学び」を奪わないで。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
便乗してすいませんが??
私の母も小学校三年生までしか行かせてもらえませんでした。その母がよく言ってたのが「バカって書かれていても、学んでなければ読めないし、意味もわからない」と、萩生田大臣のあの言葉は、『民主主義国家』としても、決して許される発言ではないと思います。— ひろみ51 (@nukolove44) 2019年10月27日
私の祖母も学校に通えず読み書きができない人でした。選挙になると字を書く練習をして投票に行きました。
幸い父は伯母たちの援助で大学に行きました。きょうだいで1人だけ。
そして私といとこたちは皆大学へ。我が家は貧困の連鎖を断ち切りました。#身の丈なんて許せない— 風の丘 (@harukanikoete) 2019年10月27日