部下を人前で叱るという記事が話題ですが、天下を取り江戸の太平を開いた徳川家康は人を叱る時
・人前ではなく自分の所に呼び、傍にその者と親しい者も置く
・柔らかい言葉で以前の功績をとにかく褒める
・その上でこのミスはお主に似合わないと諭す徳川家康の、「叱り方」 https://t.co/jbHyIUDdhn
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2019年12月27日
そして叱られる者に対して必ず逃げ道を作る事が大切であり、家臣のミスとは実際にはそれを使う主人の失態なのだと指摘しています。以上が江戸260年の祖の言葉です。
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2019年12月27日
家康の逸話として事実かどうかはともかく、この逸話を収録した書物の編纂時点で、上役が部下を叱責する態度としてこのようなやり方が理想的であると考えられていたのは事実と言える。人間心理への深い洞察が感じられる。
— mm (@mmhinoeuma) 2019年12月27日
割と癇癪持ちだったと聞いたことがあるのですけど、どっちが本当の家康なんですかね。
— 垣谷主膳@シャク (@shuzennokami) 2019年12月27日
あーなるほど。自分への戒めでもあったんですかね・・・ちょっと納得。
— 垣谷主膳@シャク (@shuzennokami) 2019年12月27日
祖父清康は家臣に斬られ、父も諸説あるが家臣に殺害されたとも、家康にとってみれば家臣を叱責するのも命懸けなのでしょう。
— t.a (@Vioviovio_) 2019年12月27日
家康は祖父が家臣に討たれた事や今川への人質時代があったからか、特に家臣の離反を恐れ、細心の注意を払って生きてきたイメージ。
その結果、信長や秀吉も羨む最強の徳川家臣団が出来たという、ある意味理想の経営者。— 夢月葵@それでも共に行く (@aoi_yumetsuki) 2019年12月27日
こんな人が義父だったからこそ、立花宗茂は何度浪人しても立ち上がり、最後には大名として返り咲けたのですね
— been makoto (@BeenMakoto) 2019年12月27日