「性差の日本史」展で見た衝撃の資料の一つがこの、とある江戸末期ごろのの食事の記録。こんなん普通に飢えて死ぬやろというレベル。でも生きて、しかも夜遅くまで客を取らされていたというのだから。平均寿命(年齢じゃなく寿命)が19?20歳だったというのも頷ける。 pic.twitter.com/GYeYuE9VxH
— 櫛 海月 (@kusikurage) November 29, 2020
わざわざ「あったかい」と書いてるあたり…。
— そこらへんの石 (@Fn49qaQd7lIx4Ns) November 29, 2020
は客に恋文を書く為に、文字書き等習うのですよね…(携帯も電話も無い時代)客が取れなければ、どんどん下の階層の廓に堕ちて行く…。
日記に「あったかい飯」とか「腐った香々で飯」とか…、辛かっただろうな…。— Оチャン (@mamatiman42) November 29, 2020
客から奢ってもらったりは3月17日「内緒で豆いりと酒をご馳走になる」だけだとすると、しんどいな??3月15,16日なんて絶食だし…。
— chari chari (@charichari1500) November 29, 2020
こんな粗食なのに「食欲旺盛だったのか」とかいう脚注が意地悪です…。泣けて来ます。
— 🍖 (@SPRITE84985026) November 29, 2020
私がショックだったのは、初めて客を取る前の食事を、土間で手を使わず犬食いさせるという話です…。犬畜生のような存在に堕ちるのだと身を持って知らしめるあまりにも酷い通過儀礼。夫も横で凍りついてました。
— booscat (@pine_institute) November 29, 2020
胸が詰まります。
客と同じ物を食べられたならこんな貧しい献立を逐一丁寧に書き残さないと思う。
食べられない日もある中で、食べられる日が有難く、あったかいおまんまがすごく嬉しかったのではないかな。
可愛い名前だね小雛ちゃん、もしも今生をどこかで生きているなら途轍もない幸せでいてほしい— kabumakko (@kabumakko) November 29, 2020
客の食事の食べ残しをやそのお付きの女性達の食事として見込んでたらしいですね。
でもこれはあくまで上客がくるレベルのお店の話でランク下のお店だとそんなものなく・・・。— yayaco (@yayaco19) November 29, 2020
ごはんが冷たい云々の話に関しては…
当時はご飯を炊くのが今より大変な作業だったので、朝が茶漬けやおじやはむしろ当たり前かと。御釜を火を起こしてふうふうフイゴ吹いて…という作業を三度の食事ごとはやらないと思う。よほどの上流階級以外は。
遊客のご飯に与れたのは中より上の店じゃないかな
— さつき。 (@satsuki_momiji) November 29, 2020
最大で50年ほど前、この記事によると白米と貧相ではあるがおかずがあったとのことです。白米は農村にとってはほぼ食べれなかったことから全てのが劣悪な環境ではないかと思います。https://t.co/ZmQaXGMleD
— 神月優太 @元ランクス (@kamimai2033) November 29, 2020
私としては、劣悪な食=寿命だけではなく、大見世と小見世による差なども大きな影響があると思います。
また起床時間について、記事では朝10時頃とあるので、電気のない時代ということも考えると劣悪までいくのかは疑問に思います。— 神月優太 @元ランクス (@kamimai2033) November 29, 2020
またの場合、15才くらいからリスクにさらされると考えると、現在のの基準だと約10年でステージ4になるのが食事や他環境で数年早まる場合、だいたい20才くらいになると思います。
— 神月優太 @元ランクス (@kamimai2033) November 29, 2020
一口にと言っても多くの階級が存在したのですね。 pic.twitter.com/5122Quhz57
— 吉澤準特|資料作成と図解作成のプロフェッショナル (@juntoku_y) November 29, 2020
千代田線三ノ輪駅から歩いて数分の所に、通称「投げ込み寺」と呼ばれる浄閑寺があります。
江戸時代、ここは新吉原と接していて、推定約2万5千人とも言われる身寄りのない達の遺体が無造作に埋葬されたそうです。
現在、新吉原総霊塔と呼ばれる慰霊碑が建立されてます
一度だけ御参りに行きました pic.twitter.com/4O9DHNUA0M— Tar Sack (@tar_sack) November 29, 2020