電車の中で子どもが大騒ぎ。お母さんは必死に「シーッ!静かにして!」って言ってるのに、子どもは楽しくなっちゃって止まらない。車内には、静かにしろよ、という険悪な空気。それが分かるだけにお母さんは肩身が狭そうに、必死に子どもを静かにさせようとするのだけど、子どもは聞いちゃいない。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
そこで私が近づき、子どもに直接「楽しいところ、ごめんな。実はな、電車の中には、疲れてるおじさんがたくさんおってな。ちょっと眠りたいんで、少し静かにしてくれると助かる。悪いな」と頼みにいくと、ビックリした顔で、でも頷いてくれる。以後、ピタッと静かになる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
降車するとき、「ありがとうな。よう静かにしてくれたな」と一声かけると、知らないオッサンにまた声かけられたとビビりつつも、頷いてくれる。
こうした経験をすると、子どもは以後、電車の中では静かに過ごすようになるだろう。— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
柴田先生の本にもあるように、子どもにとって、電車の中の大人たちは「背景」でしかない。お母さんがいくら「ご迷惑でしょ!」と注意しても、背景が動くはずがない、と思ってる。そして事実、ほとんどの大人は「背景」化して動かない。「親が何とかすべき」から動かない。https://t.co/oKuncbIuHz
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
しかし、お母さんの力だけでは限界。背景でしかないものを人間とみなし、それに配慮しろって、子どもには無理。
だから私は、「背景」から飛び出して、実は生きた人間でした、ということで、子どもたちの前に現れる。そして、理由を述べた上で「静かにしてくれるとありがたい」と頼む。— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
すると幼児はビックリする。背景だと思ってたら、人間が出てきた!しかもお母さん通じてじゃなく、僕に直接語りかけてきた!このインパクトは大きい。だから必要以上に威を感じて、言うことを聞いてくれる。だから、怖がらせる必要もない。静かに頼めばよいだけ。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
こうした経験をすると、「いつ背景から人間(オッサン)が飛び出してくるかわからない、と思うようになり、お母さんの「静かにして!」という注意が、バツグンに効果を示すようになる。こうした育児のアシストは、赤の他人だからこそできること。お母さんたちの育児が、ずいぶん楽になる。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
うるさく走り回る子どもがいたら、現代の日本では「親がしっかりしつけろよ」と考える人が多い。しかし、都会生活が大半になり、他人との接触が極めて少なくなった現代では、電車に乗り合わせた他人は、決して介入してこない「背景」と化している。背景が恐いはずがない。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
子どもが公共のところで騒ぐのは、親がしつけていないのではない。赤の他人である私たち大人が、「背景」になりきって、子どもと関わろうとしないからだ。つまり、責任は、親ではない。親にすべてを押しつけている私たちに多分に責任がある。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
幸いに私たちは「赤の他人」だ。だから、「おじさんの頼みを聞いてくれないかな」と頼むだけで十分、子どもはビビってる。幼児の場合、その後はビックリするくらい、言うことを聞いてくれる。だから私は別れる間際に子どもに「ありがとう」という。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
赤の他人だからこそ、子育てに難渋してるお母さんをアシストし、以後の育児を楽にする道筋を提供することができる。柴田先生の本、読んでほしい。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日
リツイートの勢いが凄すぎて、逆に、世のお母さんたちがどれだけつらい思いをしているのか。おののいています。
— shinshinohara (@ShinShinohara) 2019年8月7日