マチュピチュのある村を作り上げたのは、福島県から移住した初代村長の日本人、野内与吉さんです。村にダムや発電所、水路もつくり、温泉も掘り起こし作りました。連合国側で参戦時には、ペルー政府は日本人を逮捕していましたが、村人が「日本人はいない」と身を守ったほど、尊敬された方でした。 https://t.co/exNP2dTxSg
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
またマチュピチュの地元の人の伝説として、海から日本人がやってきて、マチュピチュを作った。というものもあるそうです。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
標高2000mを超える、山頂の都市マチュピチュには水路があります。雨水をためて使用するのは想像できますが、ためていなくても水が流れます。この水源はどこからの物なのか、今でもわかっていません。 pic.twitter.com/qc0IjlFXME
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
野内与吉さんの息子さんもお孫さんも、マチュピチュ村に関係していらしたのですね。与吉さんは60年代に日本に51年ぶりに帰国した際、日本に暮らすように福島の親族に説得されましたが「妻子が待っている」とマチュピチュ村へ帰ったそうです。その翌年に、お亡くなりになられました。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
それが縁で、マチュピチュと福島県大玉村は姉妹都市の縁を結んでいるのでしたね。
— たち (@tatchy0313) 2019年5月23日
おお!吾輩の記憶あってた!!
因みにブータンも60年代に西岡さんって人が乗り込んでブータンを大農業国にしちゃった。だから日本の農村風景とブータンのそれは瓜二つ。— 暮維持 飛衛郎 (@crazypierrot_00) 2019年5月23日