".授業のグループをふたつにわけ、一方には「質」によって評価するといい、もう一方には「量」によって評価すると言ったら、「質」においても良いものを作ったのは「量」のグループだった。"
なるほど、おもしろい授業を思いつく pic.twitter.com/Uy02oXkoNZ
— 貴族 (@hasegawa_fusao) July 1, 2022
昔、新聞で見た短歌だか俳句だかの選者の先生が「たまたま作った作品が名作であることはほぼ無いので、たくさん書きましょう」みたいなこと言ってた。
数撃って当てよう。当たらなくても面制圧だ(㍉脳https://t.co/LD1A6HNefF
— えぇとこ大阪@素人目線 (@Etoko_Osaka) July 2, 2022
「Bグループには、制作するのは一点だけと決められた」ここに詭弁がありますね。これでは、質と量の比較ではなく、「たくさん作ることを認められたグループ」と「一点しか作ることを許されなかったグループ」の比較です。
— SyoShinozaki (@SyoShinozaki) July 2, 2022
心理学者のディーン・サイモントン曰く、
”ある分野における天才的な創作者は、その分野の他の人達よりも特に創作の質が優れているわけではない。”
とのこと。
結局、大量に創作すると多様な作品が生まれ、オリジナリティなものができる確率が高くなるだけということから、重視すべきは質より量。
— ケイ ?? 雑学 (@mikaitabi) July 2, 2022
例えばウィリアム・シェイクスピア。
彼の作品の中で一般に知られてるものは『ハムレット』『マクベス』『ロミオとジュリエット』など僅かな作品のみ。
しかし実のところ、彼は20年間に37の戯曲と154の短い詩を書いていたりする。
— ケイ ?? 雑学 (@mikaitabi) July 2, 2022
単純な確率ではないと思います。
量をこなすうちに要領がわかってくるし、試行錯誤の中で新しいアイディアも湧いてくる。
受験と一緒じゃないですかね。— サッカー (@fcf8ARWDS7U9YfC) July 2, 2022
「100万人の棋士たちの中から
藤井聡太が出てくることがあっても、
初めから藤井聡太だけに
将棋を教えることはできない」みたいなツイートがあったなあ…
— 水無月 守宮 (@MMoongekko) July 2, 2022
これはおそらく 作り手の考える質と評価する側が考える質の違いもあるかも。作り手が「これ絶対最高」と思っても評価者が「これダメ」と言ったらダメになる。よって「数打ちゃ当たる」戦法が有効と。
— せっき時代 (@sekki_jidai) July 2, 2022
正確には"現存または確認されてる作品量"ですね
あれだけの実力、デッサン力で画家が未発表で練習作品として描いてた秀作やデッサンやエスキースが出なさ過ぎなので実際は未発表でかなり量描いてると思いますよ— ??????ぽこぽこ?????? (@OkmPocopocopoco) July 2, 2022
多分源泉は同じだと思うんですが、海外の大学のカメラの講義で「多く写真を撮れば撮るほど評価(量)」と「最高の一枚を提出。それを評価(質)」の2パターンで課題を与えた場合、やはり量的に評価される側の方が良い写真(他の生徒からの高評価)が多かったと。
沢山行動する中で洗練されるんでしょうかね??— Tat@海外移住を目指すプロファイラー (@takenokommm) July 2, 2022
国語の先生が口癖のように「量は質に転化する。質の良い勉強がしたいならまず量をこなせ」と言っていたのを思い出すなあ
— 鶴照 (@CockTailLight) July 2, 2022
集中と選択って考え方があんまり良くないって事よねぇ。
結局良いものは数作らないと出てこない。
失敗を許容出来る仕組みを作ってあげないとジリ貧になるばかり。— もけ (@NGTmoke) July 2, 2022