76年前の今日。1945年8月9日11時2分,長崎原爆投下。写真は投下から20分後,香焼島において松田弘道が撮影したきのこ雲。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/rCPJ4Xx0qX
— 渡邉英徳?? (@hwtnv) August 8, 2021
こちらが元の白黒写真。 https://t.co/cuIXNhs5kt pic.twitter.com/G6WsB3NVj6
— 渡邉英徳?? (@hwtnv) August 8, 2021
本来ならこの後新潟にも原子爆弾が落とされる予定だった。
新潟も広島や長崎と同じ悲惨な事になっていたのかもしれない… pic.twitter.com/e01dUlIKRw— T.tk(どちゃもじと仮面ライダーを愛する新潟っ子) (@Ttk35942776) August 9, 2021
広島市に砲身型ウラニウム活性実弾 L-11 “リトルボーイ”を投下した“エノラ・ゲイ”から撮影された、爆発数分後のきのこ雲がこれですから、確かに上空は青空じゃなく、きのこ雲の根本だったんでしょうね。 pic.twitter.com/A58Z20rkjT
— チョビ之助?? ??@いくつもの片隅に No.5287 (@Cyobinosuke) August 8, 2021
「広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。」(田上富久・述、「長崎平和宣言」より)#長崎原爆の日 pic.twitter.com/yfjYP7a7Pt
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 9, 2021
「原子爆弾は、その瞬間だけではなくて、放射線で身体、そして心も深く傷つけ、その傷は容易には癒えません。だからその瞬間の記憶も深い傷になって、何十年も過ぎたあとでさえ、そのことを振り返らざるを得ない」(渡辺考『少女たちがみつめた長崎』書肆侃侃房、P200)https://t.co/FE9yyMqkBO
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 9, 2021
「広島と長崎に原爆を投下する前、アメリカの科学者たちは大量の全身被爆による潜在的な影響に関する研究を実施しなかっただけでなく、起こりうる医学的疾患に対する将来的な治療法の調査や開発をおこなうこともなかった。」(『ナガサキ 核戦争後の人生』みすず書房、P151)https://t.co/EPPY9Biq9V
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 9, 2021
「原爆投下の瞬間、私は浦上第一病院の診療室で外来患者に人工気胸を施していた。爆心から千八百メートル隔たり、爆風の威力も熱も減弱していたとはいえ、病院は猛火に包まれてしまったーー。それからというもの、私の時計は停ったままである」(秋月辰一郎『長崎原爆記』P3)https://t.co/pKIszXN0XC
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 9, 2021
「被爆直後あたりは真暗になった。眼をみひらいているのに何も見えない。黒々した闇があるだけだ。奥ゆきを感じる漆黒の闇なら、闇を見とっている視力があるから不安はないが、眼に貼りつく平面な闇である。」(林京子・文、『セレクション戦争と文学1』集英社、P221)https://t.co/BZTJgAwP1p
— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) August 9, 2021
何度でも言いますが、長崎の原爆は大学病院の至近に落とされました。どこならいいということはないですが、普通病院は避けますよね。病人と医大生が多く犠牲になったことはみんな知っているというほどには知られていないのでくどくど繰り返します。
— いがぐり弁護士 (@igaigaguri) August 6, 2021
当時、米軍は日本に残るほとんどが女、子供、病人と知りつつ、ほとんどの都市を焼き尽くしているので、病院を避けるなどという殊勝な意思は持ち合わせていなかったのでは?ただ、長崎で(米国に多い)クリスチャンをも、広島では米国人捕虜をも一緒に殺してしまったことを後で知り慌てたらしい。。
— kaguyahime (@bonitajaponesa) August 7, 2021
新潟県長岡市の空襲の時は、米軍はちゃんと、長岡赤十字病院を避けていたのですが…。
(従軍看護婦だった祖父の妹は、それで無事でした)
米軍も余裕を失っていたのかも知れませんが、これは後世に語り継ぐべきことですね。— 五百万石@第一次繁忙期 (@Ebisu_shinbashi) August 7, 2021
原爆投下の前、アメリカは日本が降伏することを知っていました。しかし原爆投下前に戦争が終わると、原爆製造に莫大な予算を使ったアメリカ政府が議会から追及されるので、慌てて投下しました。広島はウラン型。長崎はプルトニウム型。どちらも実験したかったのです。
— inatybell (@inatybell) August 7, 2021