*長文 この時期になると、中学2年生の時に歴史の授業で「原爆を落としたのは正解だったか否か」のディベートがあったことを思い出す。大抵の場合アメリカ的には原爆を落としたからこそ戦争が終わったという的なことを大抵教えられ、クラスで陰キャで意思表示を上手くできなかった私はほとんどの生徒と
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
「同じ意見です」と言う準備をしてた。当時アメリカで育ったただの大人しい中学生だったし、教科書も原爆についてよりホロコーストについての方が多く習った。ふと自分の番が来る前に教科書をまた見た。そこには原爆にあった人(子供?)の経験と思いが綴られた手紙の写真があった。このクラスで日本人は
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
私だけだ。私だけがその手紙の内容を読めた。そしてその内容を読んでいるうちに、ものすごく心が重くてなって、息苦しくなり自分の番がきても口が開けなくなった。唯一の日本人の私の意見を聞こうと先生も周りもみな黙ったままだった。世界でひとりぼっちのようだった。みんなが見てる。なにか言えよ!
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
と頭ではわかっているのに、手紙の内容がリフレインして考えがまとまらなかった。あつい。あついよ。勇気を振り絞ってようやく出せた言葉は「わからない」だった。「最初は私も、みんなと同意見でした。日本人だけど親戚に被爆した人がいるわけでもないし、過去のことだし、まだ戦争のこととかよく
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
わからないし…でもこの手紙、私だけがこの手紙の内容を読める。これを読んで、どうしても原爆を落としたことが「正解だった」とは言えない…」的なことを言ったと思う。もっと何か言ったかもしれないが覚えていない。頭がぐわんぐわんしてた。涙がじわりと出てきた。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
やってしまった、と思った。泣くな、泣くな!!!これ以上奴らに恥を見せるな!と言い聞かせたけど涙が何故か止まらなかった。これでまた理屈責めを受けるんだろうと目を瞑った。そしたら隣の席の人がいきなり「私の意見を前言撤回します!」と言い出した。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
「私もさっきまではアメリカがしたことが正解だと思っていましたが、今のリサを見てみて相手の立場の目線にも立つべきだと思います!」と言ってくれた。驚いた。え?とびっくりしていると周りもどんどん「同じくです!訂正します。」「そもそもこの教科書の内容は一方的すぎでは?」「他に違う方法があ
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
ったんじゃないでしょうか?」「異議あり」とディベートが再熱し始めた。私は何も言えなかったのに、その言えない思いを汲み取ってくれた当時13歳ぐらいのアメリカ人の同級生達。さすが自立性を重んじる学校だなぁすごいなぁ…と放心した。その議論の内容は覚えていない。頭がずっとあつかった。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
涙も収まった頃に先生「辛いことをさせてごめんなさい。でも先生も着眼点を変えるわ。気づかせてくれて有難う。」とハグされた。その時はぁ?と思ったが(ひねくれキッズだったので)その後、先生がこの授業でこのディベートをする度に私の話をするらしい。嬉しいような複雑のような。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
当時(中学生にこんな重い質問すんなよ!!)と思っていたが、今思うと大事なことだったなとしみじみ思う。次世代に希望が持てた瞬間だった。このことに関していつも漫画にまとめようとするけど上手くいかないので文字にしました。こういう経験があったよという話です。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
ちなみにうろ覚えですが手紙(おそらく青年?)には震えた文字で燃え上がった街の情景と絶望の気持ちと「あつい。あついよ。お母さん。」的なものが書いてありました。亡くなられる前か火傷をした後に書いたものだと思われます。文字の内容ではなく読んだ時の感情しか覚えてないです。すいません…
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
母校について。私が通っていたのは芸術学校(&進学校)で、何より生徒の個性、自立性、柔軟性に重心を置いていてテストよりディベートとプレゼンが多いような所でした。LGBTQフレンドリーで政治にも熱い生徒たちも多く、先生達も中見も外見も柔らかい人達だらけでした。誇りに思います。先生達元気かな。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
大学の授業で教師が「みんなわかってるよな?」的な感じで喋ってるのに、一人日本人だった僕もすごい圧を感じてました。お話読んで目頭が熱くなりました。ありがとう。
— ふなまさ (@mosatto) August 7, 2020
教科書の資料としてその手紙載せる判断や編集したのはひょっとして日本語読める人だったのでは?…いつかそうして「理解できる」または「関心もてる理性ある誰か」への暗号として…社会の論調はすぐには変えられない。古から「勝てば官軍」の我田引水も横行。でも現実の資料を掲示し続けていれば…と
— hhbより (@hhb_yori) August 7, 2020
現地の中学生も立派だと思います。「前言撤回します」って言うのは勇気がいると思います。大人になる前だったから純粋な気持ちで言えたのかな?中学生の日米中学生が一緒に学べたらいいと思いました。Lisaさんの当時の立場ではすごいプレッシャーがあった事でしょう
— タンポポ (@MimosMt) August 7, 2020
今でも、アメリカでは『原爆投下は正しかった』という意見が老若男女問わず支持されている。僕はそれに対しては否定も肯定もしない。事実は事実だ。ただ、『勝戦国からの結果論』ばかりじゃなくて、『敗戦国からの視点と被害に遭った全ての人の記憶』もしっかりと見てから戦争については語ってほしい。
— Koh (@Koh_Toriisaka46) August 7, 2020
FF外から失礼します。
私が通っていた中国の国際学校でディベートを行った際も「原爆は戦争を早く終わらすために必要だった」が大多数でした。その中でLisa様の発言がどれだけ勇気が必要だったかよくわかります。
なので周囲の方に新たな視点と観点を伝えられたことは本当に凄いことだと思います…!— 豆腐(tofu) (@rlomen_orange21) August 7, 2020
中高アメリカに住んでいました。兄が11年生のときにAmerican historyの授業がけっこうキツかったよと聞いたので私は怖くて授業を取れず、World history関係も取らなくて済むようカウンセラーにお願いしました。自分が発言することでそれをわかってくれる環境であったなら、私もあの時がんばりたかった
— suito (@redeye0120) August 7, 2020
原爆を落とされて、熱さの中苦しんで亡くなった人の気持ちを想像して堪えきれずに泣いてくれたあなたと、そのあなたを見て違う観点からも考えようと言い出してくれたクラスメイトさんの、自由で縛られない内容のディベートをしてくれた当時中学の若者達に人の相互理解の可能性を感じました、ありがとう
— けむけむ???????????????????? (@kemukemu07) August 7, 2020
歴史教育も州によるのでしょうか?
イリノイ州のシカゴ郊外に限れば、今の五十代のアメリカ人が高校に行っていた頃から、原爆は不必要だったと教わったと。今、高校生の我が子は、原爆不必要と並んで、日本各地で行われた空襲とそれによる死者数も学んだそうです。— あっち向いてホイ (@Masako314159265) August 7, 2020
私の高校の時の英語の先生は戦後(多分S30年前後?)アメリカで苦学生をしていたのですが
彼が日本の広島から来たと聞きつけて牧師の男性が
「私に貴方を援助させて欲しい どうか日本に詫びさせて欲しい」
と訪ねて来られたそうだ。
アメリカでは戦争を終わらせる為に原爆を落とした(エノラ・ゲイのパイ— ただのぱかこ (@bakako43) August 7, 2020
ロットの方もそう言われていたとか)仕方ない事だったと教えられるというのは聞きますが
当時から多角的に物事をみて自分の考えを実行できる方もいたんですよね。
日本人はディベートが苦手とは言いますが 長き物に巻き込まれ流される事は危険性を孕んでいて 特に今のを見ていると不安になります。— ただのぱかこ (@bakako43) August 7, 2020
アメリカは原爆に正当性を持たせる教育をしていて教科書にもページの3分の2ぐらいしか触れないらしいって…。マジだとすると悲しすぎる。原爆は正しかったと言う意見がアメリカ人の50%を下回ったことがないと言う。そりゃ核持ってるわ。 pic.twitter.com/4cSPFt6tpd
— ころり@ (@yKY43wOXUxnpNEz) August 7, 2020
それから考えると、オバマさんが広島にきたのは途轍もない程の業績だったのではないか、と今更ながらに思う。
— 田中幸太 (@MrXdv8SgaJ4dzLF) August 7, 2020
東京大空襲の後、黒焦げの遺体の山の中を家族を探し念仏を唱えながら歩く父親に同行したという祖母でさえ、原爆は戦争を早く終わらせるために落とされた、京都が空襲を免れたのはたくさんの文化的価値のある建物があったからだ、ということを本気で信じていました。
— Blue11032019 (@BlueBlauBleue) August 7, 2020
子供心にアメリカの戦後処理で植え付けられた記憶なのでしょう。またそれを信じてしまうのも当時の日本の帝国主義に国民が苦しめられた証なんでしょうね。戦争、大量破壊兵器についてお友達と一緒に真剣に考えた経験はきっと大きな抑止力になります。
— Blue11032019 (@BlueBlauBleue) August 7, 2020
日本の教科書も何でもかんでも日本が悪いって書き方やめてほしいですねぇ…
マッカーサーが日本は自衛戦争をしたまでだったと総括しているのだから、戦争に至るまでの経緯などもっと詳らかに載せるべきで、奇襲のつもりもなくたまたま開戦宣告が米側に伝わってなかっただけとかちゃんと書くべき。— ア・ソコ (@yochie0891) August 7, 2020