岡田一男さん(78)。「あの日」、がれきに埋もれて右足が不自由になりました。それでも震災後に始めた警備員の仕事を20年続けています。力強く懸命に生きる姿を記録しました。https://t.co/w1NvjfKQiT#nhk_news #nhk_video pic.twitter.com/wZgIVN6mAJ
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年1月9日
震災直後、司令を待たずに来てくれた和歌山のレスキュー隊の方がたまたま近くにいて、毛布が口を覆い息も身動きも出来ず、お尻のあたりがえぐれて生き埋めになった父を助けてくれて、やっと少しづつ生活ができるようになったのが10年後。
レスキュー隊にお礼に伺った際に取材されたのがきっかけで、→— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日
→様々なマスコミから取材され、障害年金も手当も相談できる市の窓口も何もなく、それはおかしいとマスコミが神戸市に震災で障害を負った人を何人把握してるかと取材したところ、たった5?6人だったかと。
未曾有の大震災から立ち直ろうとしてきた神戸を、今後被災する国内海外からその貴重な情報を→— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日
←求められるだろうに、震災で障害を負った人のデータは全く皆無なのはおかしいだろうと。
記録やデータがあってこそ対策もできるのに。
震災で負傷した人はあちこち転院したので治るまでのデータがなかなかありません。
父は国に震災障害のデータを残すように訴え続け、消防や医療関係者なら→— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日
→わかるかと思いますが、昨年の春から全国の障害の診断書やカルテに原因に震災によるものという項目ができました。
父は自分が生かされたのは生き役(えき)があるからだと言っています。
警備員の父が国を動かせた事はすごい事だと思います。→— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日
→父は障害の辛さを誰にも、瓦礫から抜け出した私にすらも理解されず誰からも「良かったね」の言葉しか言われませんでした。
ずっとずっと孤独だった父。
私も辛くて震災の話は10年以上は一切言えなかったけど、父はもっともっと辛かったでしょう。
でも今は震災で障害を負った方と集まる場を作り→— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日
→やっとお互いがそれぞれの思いを口にする事で、心に背負っていた荷物を下ろすような気持ちになったと言います。
同じように一人で孤独な思いをしている人を尋ねたり、一人じゃないんだと皆で集まれるように父は忙しそう。
25年前の辛さを背負っている人は沢山います。
私はあの日を忘れません。— aki (@_a_k_i_) 2020年1月16日