ザルを3つ重ねても水は汲めない


開講式で次の様な話をした。緊張をほぐそうという意図もあり、半分ウケねらいのパフォーマンスを演じた。「これがザル状態」といいながら、短髪の頭に自前のザルを被って見せた。ザルの穴から髪の毛が飛び出ている。「穴があるから飛び出るんです、分かりますか?」、生徒は怪訝そうな顔をしているが、無理矢理に納得させる。職員も心配そうに見守っている。さらにザルを2つ、3つと被って見せた。「まだザルの穴から髪が見えるでしょう?」といいながら、終いにはザルを全部とり、今度は水色のボウルを頭に被って見せた。「このヘルメット状態がボウルです、ボウルには穴がない。通気性も透水性もない。完璧に頭に被っている。先ほどの1つのザルは皆さんが受ける1回分の実力試験や模擬試験を表現しています。穴だらけのザルはセンター試験で言えば300点ぐらいの状態です。ヘルメット状態のボウルは900点満点だと思ってほしい」、ここまで来ると、生徒も話の中身が見えてきたようだ。

ザルとボウルのちがい
台所にあるザルとボウルを思い出してもらいたい。ザルで野菜やお米を洗うことがあっても、水を汲む人はいない。ザルの中に卵を割る人もいないはずだ。ザルを何枚重ねても水は汲めない。勉強せずに試験を受ける、練習せずに野球の試合で守備につく。この人たちを世間ではザルという。ザルはいくら重ねてもザルである。勉強せずに試験ばかりいくら受けても結局は合格点には至らない。練習せずに野球の守備位置についてもエラーばかり、ましてファインプレーなどは望むべくもない。

ザルの目を埋めていく
受験勉強を始める前の学力は、みんな同じザル状態と思ってよい。ミスをするのは当たり前である。人は失敗して試行錯誤を繰り返す中で、成長し大人になっていく。社会では、失敗を乗り越える力と修正力こそが求められている。まずは自身のザルの目を埋めることだ。一度埋めた穴も、記憶が定着せず再び穴に戻ってしまうかもしれない。また、別の場所が経年劣化で穴があいてしまうかもしれない。それでもあいた穴がふさがっていけば、ザルがボウルへと限りなく近づいていく。ここで注意したいことは、人に備わる感性がそれぞれ違うように弱点は人によって違うということ。これまでの学びの違いが、読解力や集中力の差にもつながっているかもしれない。大切なのは自分自身を知り、間違いやすいパターンに気づくこと、自分のザルの穴を埋め続けることである。他人のザルと比べても意味がない。

失敗を越える力
長大のリレー講座に参加した。失敗を超える力とは正に「修正力」のことである。9年の任期を最後に、この9月で退官される片峰茂学長が挨拶文の中で、次のように述べている。「意味のある発見や創造が多くの失敗の積み重ねの上にしか産まれないことを、研究を志す人であれば誰しもが知っている。人生においても然り。要は失敗から何かを学ぶこと、そして失敗にめげない気概ではないか。」