私はシンディ・ローパーが大好きで、10代の頃からずっと、大切な人だ。明るくて優しくて、人情があって一生懸命で、彼女の音楽にはそんなすべてが現れているようで(音楽には遠くの誰かにもそう思わせる力があるよね) 彼女の音楽がどれだけ私を勇気づけ助けてくれたか、言葉にすることはできない。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
10代と20代、何もかもがうまく行かず、自分がこの先を生きていけるのかどうかわからなかった。苦しいとき、シンディの歌を聴いて、シンディのことを本当によく考えた。大変な家庭で育ったこと、若い頃に自己破産もしたこと、最初のヒットが出るまでずいぶん時間がかかったこと。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
もうあかんかもと思うたびに、でもシンディかって辛かった、でも頑張ったんよなと言い聞かせた。シンディの笑顔と歌は強くて優しくて「がんばりや」「あんじょうしいや」と言ってくれてるようで、シンディがいることでなんとか気持ちを繋いでいられるような、そんな時期があった。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
今から20年近く前、シンディのコンサートがあった。私はその頃ずっと通院していて、ぎりぎりまで出かけられるかわからなかった。でもこの日を心待ちにしていたし、運良く手に入れることができたチケットは2列目で、何より初めてシンディの生の歌声が聴けるのだ。重い体をひきずって会場に出かけた。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
びくびくしながら、でも胸は痛いくらいにどきどきして、果たしてシンディはステージに現れた。輝いていて、光っていて、息が止まりそうだった。たぶん瞳孔もちょっと開いてたと思う。シンディは最初からもう全力で一生懸命で、まだ始まったばっかりの2曲目でもう客席に降りてきた。
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みんなどわっとシンディの方にどよめいて、気がつけば目の前にシンディがいた。そしたらつぎの瞬間──今書いてても体がふわっとするんやけども、シンディがわたしを抱きしめてくれたのだ。このときは完全に瞳孔が開いてたと思う。何が起きたのかわからん瞬間で、そのあとはあんまり記憶がない。
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月日は流れ、紆余曲折を経て私は文章を書いて生活をするようになった。シンディの音楽とあの瞬間は、変わらずずっとそばにあってくれた。そして2020年の春に『夏物語』が英訳されて、届かないのはわかってるけど、自分の作品をシンディに送りたいと思った。でもどこに送ればいいのかもわからない。
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当時はパンデミックでアメリカはエージェントも流通も完全に麻痺していて、どこにも情報はなかった。でも諦められなかった。いろんな方に尋ねて、最後は湯川れい子さんにエージェントの連絡先を教えて頂くことができた。過去に一度ご挨拶を差し上げただけの私に湯川さんはとても親切にして下さった。
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『夏物語』には小さな手紙を同封した。書きたいことは沢山あるのに「悲しいときも嬉しいときも、ずっとあなたの音楽を聴いてきました。私は2曲目でステージを降りてきてくれたあなたに抱きしめてもらったことがあります。大好きです。存在していてくれてありがとう」しか書けんかった。
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シンディが作品を読んでくれるかどうか以前に、そもそもこの状態で配達されるのかもわからない。流通が機能したとして世界中から様々が届くやろう彼女に辿り着く確率は殆どゼロ。でもそれでいいと思った。届かんくても海に小瓶を放つ気持ちで私はシンディに作品を送ったのだ。もうそれだけでよかった。
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『夏物語』は幸運なことに多くの国でベストセラーになって沢山の読者に恵まれることになった。実り多い年やったけど様々を試されるタフな年でもあった。殺害予告を受けた裁判もあったし病気もした。でも若い頃と同じ、シンディを聴くと自分にとって大切なものをいつでも思いだせる気がした。
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それから1年近くがたった2021年の4月のある日、家に荷物が届いた。伝票は文字が滲んでうまく読めないけれど、アメリカから発送されたものみたい。箱を開けるとまずレコードが目に飛び込んできた。シンディの、あのファーストアルバム。マジックでMieko と書いてある。そしてCyndi Lauperの文字も。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
事態がうまく飲み込めなくてぼおっとしてたら、手紙があるのに気がついた。大きな便箋に文字がびっしり4枚、音楽のこと、ご自身のこと、そして『夏物語』について、言葉を尽くして書かれてあった。「ミエコ、この大切な物語を書いてくれてありがとう。私に連絡をとってくれてありがとう」とあった。
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それは、シンディからだった。理解するのに時間がかかって、しばらく動けず、それから色んなことが巻き戻されるように思いだされて、涙がぼたぼた落ちた。それはシンディに届いたこと、そして想像もしなかった奇跡みたいな出来事への驚きと喜びでもあったけど、でも私がそのとき感じていたのは、
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シンディ・ローパーという人はほんまにこういう人なんや、ということやった。誰かもわからん遠くの誰かに、こんなふうに全力で応え、惜しみなく気持ちを伝えてくれて励ましてくれる、そういう人なんやと。そんなシンディ・ローパーのことを思うと涙が止まらずたまらなかった。本当に、なんて人だろう。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
東日本大震災が起きた日、日本に到着したシンディは、帰国せずに、そのままファンのためにコンサートをやり遂げてくれた。終演後にはホールに並んで募金を呼びかけ、翌年には被災地をたずね、多くの人を励ましてくれた。彼女は、ほんまにそういう人なんやと思う。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
わたしは一度目はコンサート会場で、そして二度目は手紙を受け取った日にシンディに抱きしめられたと思った。でもほんまは、10代に初めて彼女の音楽を聴いた日から今までずっと抱きしめられてたんやった。それはこれからもずっと変わらへんと思う。シンディのファンは皆そう感じてるような気がする。
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
今日、6月22日はシンディの誕生日。お誕生日おめでとう、そして彼女と彼女の音楽を愛するみなさんにも、心からおめでとうです。早くまた、目の前で彼女の歌を聴ける日が来ますように。その日をみんなで楽しみに(最後まで読んでくれてありがとう)。 pic.twitter.com/hfn2ZkBqtk
— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) June 22, 2022
素晴らしいお話で泣いてしまった.
空港でのシンディの話を思い出しました.https://t.co/OycSeGtRa3— MARi (@bijoumm) June 23, 2022