だいぶ前に広島で坊さんと
「仏教にはもともと禁欲的な教えはないんだけど、なぜかわかりますか?」
「ブッダが苦行林で禁欲を否定したからですかね」
「それもありますけど、昔の食糧事情や衛生事情で禁欲やら節制やらをしたら、死ぬからです。禁欲なんて金持ちの道楽だったんですよ」って話をした
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) October 13, 2021
「仏教に限らず、禁欲的な教えをもともと持たない宗教が急に禁欲を美徳とするのは、大抵世の中が豊かになってからなんです。豊かな時代であえて不便で辛い禁欲生活をする自分は、特別な宗教的高位者なんだと、そう思いたがる人が禁欲を始める。禁欲は一番手っ取り早くて楽な修行ですからね」
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) October 13, 2021
「自分が苦しむだけで、他人を助けたり思いやる必要がない。だから他者への優位さを求めて禁欲をする人は、残酷で酷い人が多いですよ。宗教以外のコミュニティでも見るでしょう。自分は辛い思いをしているから他人より偉いんだと言う人が」
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) October 13, 2021
「エコだとかスローライフだとか菜食主義者とか、そういうものにも見られる傾向ですよね。全部がそうだとは言いませんが、不便で制約のある生き方を選べる人は金持ちか強者なんですよ。だからブッダは禁欲や苦行を嫌ったんです」
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) October 13, 2021
学生の私に丁寧に話をしてくれた坊さんだった。
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) October 13, 2021
美味しいものをたくさん食べて、よく寝て体を傷つけず健康的な生活をすることが一番の神仏への恩返しって感じの話をどっかで聞いたことがありますけど、あながち間違ってない…?
— 福田 あかね (@akane_hukuda) October 13, 2021
人間の三大欲求は生きることに繋がる。そして、昔の平均寿命を考慮すると子孫を残せる年齢になるとほぼ人生の折り返し地点。更に、乳幼児の生存率や死産の割合も計算したら、作れる時に作って生き残った者を育てると言う考え方にもなるかも知れない。
— オーシャン零壱 (@ocean_01t) October 13, 2021
昔、京都の修行場で戴いた精進料理は思わず「戴いた」って表現するくらい美味しかった。肉なしで生きていける可能性を感じさせられる味だった。美味しいものは心の栄養だって修行の本職にはわかってるって事なんだろうか。
— いとまき (@itomakimanta) October 13, 2021
仏陀はわかっていたんですね。
欲を捨てることは、すなわち、すぐ死に直結することであるということに。— YAMADA (@agoitizoku05) October 13, 2021
そりゃあ食欲抑えたら栄養失調で死ぬでしょ
— くろ提督 (@KuroZekamasi) October 13, 2021
性欲抑えたら
血族が途絶えますな。— PIXSEL (@pixselP) October 13, 2021
血族の途絶えは、「家」の死ですね。
— オーシャン零壱 (@ocean_01t) October 14, 2021
「修行の厳しい禅宗にもそういう危険がある」と,僕は当の禅僧に聞きました。
長年修業を積んだ雲水の中には,それを鼻に掛け後輩や信徒に対し異常に傲慢で残酷になってしまう者も居る。「苦行を積んだからと偉くはない」と指導を徹底し,個々の僧侶も自覚しないと駄目だ…と。https://t.co/rtGOploQWa— Kentaro Uchikoshi (@ShimofusaSakai) October 13, 2021
私が聞いた仏の話と同じで、苦行をして悟った気になって慢心するくらいなら苦行などしない方がまし、というものでした。
— UR (@al_ryu1) October 13, 2021
かたよらない心
こだわらない心
とらわれない心?*?? pic.twitter.com/JKNjNPKY9V— 尚武 (@Niten__Ryu) October 13, 2021
睡眠欲を自ら禁じた阿那律は、視力を失ってしましましたからね。(手塚治虫先生のブッダにも描かれている有名なお話です)
— ogatakei1192 (@ogatakei1192) October 13, 2021
引用で反論してる人らに刺激されて色々調べてしまいました。仏教校出身なので押入れから教材取り出して読み込んでみて、収穫があったので報告しときます。
まんず、広島の坊さんの言ってる事は少なくとも間違いじゃないみたいっす。というのも、— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
仏教には確かに五戒とか、欲望に関する戒めがあるんすけど、うちの高校の教材いわく、戒律の戒と律はそれぞれ違うもので、戒は人々がよりよく生きるための努力目標としての戒め(提案)で、律は教団などの所属者が守るべき規則らしいです。
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
引用で上げられてるのは主にこの戒のほうで、ここに生き物を殺生するなとか酒を飲むなとかがあるんですが、このへんの解釈が宗派によってかなり異なるみたいですね。ただ元々はやはり禁欲というほど強い性質の決まりではないようです。
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
殺生するなというのも、食べ物に関しては、無闇に食料化すべきではない、必要な分足りるぶんを得られたならそれ以上生き物を手にかける必要はないではないか、という程度の、だいぶふわっとした易しい提案みたいです。言葉の意味としては。何が何でも殺生は許さんってもんじゃないみたいですね。
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
その他の戒も無闇に欲望に溺れるな、欲望を過剰に追うことで手にかけられる生き物や、壊されるもの、愛してもいないのに抱かれる女の立場気持ちを考えろ、というのが、もともとの意味合いみたいです。
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
ここんところを「五戒は食欲や性欲を厳しく禁じている禁欲の教えだ」と勘違いした人が反論してる感じですかね。うちの教材が間違ってなければ。だから禁欲とか戒めの意味を広島の坊さんの方が詳しく勉強してるんじゃないかなと思いました。wikiもその辺触れてないしな。
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021
ただ、これは原始仏教の話で日本仏教の話とはまた違うし、仏陀は自分の教えを明確に残すなと言ってるから、そもそもブッダの教えには無数の解釈がある。その辺も関わってきてる感じですかね、
— ネヴァダ (@nevadan2) October 13, 2021