先日、小1の娘が「嫌な授業がある」と浮かない顔していたので算数か体育か?と思って聞くと「道徳」だった。何故かというと「先生が思っている正解を言わないとそんなことを聞いてませんって言われるから」だって。これが今の道徳教育の現実。
— 育児教育 (@mayday123may) October 12, 2021
小学校の先生を対象にした実験で、お気に入りの子とそうではない子を挙げてもらうということした際、お気に入りではないと挙がった子は周囲に同調せず自身の主張がある子だったそうです。
先生の価値観で子どもの主張が潰されてしまう教育とは果たして…という思いに駆られてしまいますね。— ケイ??雑学 (@mikaitabi) October 13, 2021
話ズレますが・・・・・道徳じゃないにしても、「そんなこと訊いてません」は先生としてダメな返答では。ふざけた中高生にはいいかもしれないけれど、小学生なら6年生にでも違う言い方でおふざけを牽制します。まして、ふざけたりなんてしてない真面目な回答に、その言い方・・・・・
— 高垣千枝/FL・篠笛・OC・RC etc (@Ciel8fueist) October 12, 2021
私の担任の先生は、私がひねくれた答えを言っても、『○○さんの意見は角度が違って面白いから、いつも楽しみなんだ』と言ってくれました。
良い先生だったのかも…
先生の当たり外れありますよね…— いろいろ (@6rjO68ZFdiC1UD4) October 13, 2021
うちの小1娘はクラスの子のいろいろな考え方が聞けるから道徳好き、って言ってました。先生の違いでしょうかね…??
— Licca mic (@wakkofukufuku) October 12, 2021
それは道徳ではなく、主観に基づいた洗脳です。
その教師が多面性、多様性を受け入れる目がないだけで、本来は道徳を教えられなければいけない人なんですよ。— 矢崎聖【歴史マン】日本史講師 (@Sei_Yazaki) October 12, 2021
うちの小学校の時の先生は正しいとされている答えとは別の回答が出たらその回答には矛盾点がないかなどを順序立ててみんなで推理していきました。
その結果大概の場合その回答には矛盾点や間違った箇所があるのです。結局子供が納得できないのは教育方針ではなく教え方が問題なんだと思います。
— ?雪風しれーかん? (@Saku84725550) October 13, 2021
40年前に小学生だった自分ですが、当時からして既に『道徳の時間では、先生や学校の気に入りそうな答を用意してる』子は少なくなかったですね(-_-;)
— guldeen(AstraZeneca1回接種/父は要介護5) (@guldeen) October 12, 2021
子どもが小さいとき、
子育て支援専門の教授先生と母たちの輪に入っていて、あるとき進行にそって意見を求められたので体験談から考えを話したら「そんな『答え』求めてない」という切り返しで一瞬場が静まり返り、、。その場には正解と、与えられた見えない役割があるのがわかってそっと抜けました。— 秋山ぞ吾は (@hitomaronotuki) October 12, 2021
学校は社会の縮図。
嫌だった事を家で話せる環境があるなら
この子は救われてるなぁと。ほかの先生によって違うかもしれないし、どんどん友達やご家族とコミュニケーションをとって成長と共に色んな人や考えがあるんだと学んでいく…道徳って死ぬまで続くし絶対の正解なんてないんよな。— potetoiiiotetop (@potetoiiiotetop) October 12, 2021
道徳が教科化された時にそのことが結構話題になってましたが、みんなそれだけにかまってるわけにもいかないので、いつしか忘れられました。もう定着してるでしょうね。 https://t.co/mlpxupgXIV
— ミスターK (@arapanman) October 13, 2021
それも良いねって言えるのが道徳心ですよね。
— わがのこと語郎 (@7zDGUu0xZv1Gbi1) October 12, 2021
道徳じゃなくて忖度に教科名かえたらいい。やらないほうがマシ。
— あかさ@stopインボイス (@akasatana0189) October 12, 2021
先生が多様性を認めないのか
生徒がクソリプしてるのか
授業内容が知りたいですね(^_^;) pic.twitter.com/cqzBu1l4gv— ドージ (@douji_185) October 12, 2021
それは教師も気づいています。
指導書に基づいて授業してたらそうなります…。— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 12, 2021
一応補足です。
教師の立場から言わせて貰うと、道徳の授業では基本的に教科書を使用します。(例外あり)
教科書を使用するということは、それに付随する指導書があります。
基本的にはその指導書通りに授業を流します。↓— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 13, 2021
道徳も教科ですので、教科書を使用しないと、最悪単位認定されない可能性もあります。
また、指導書通りに授業を流すことは、(例えそれが答えありきの道徳になっても)教師自身の身を守ることにつながります。↓— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 13, 2021
例えば「生」を扱う単元。
極端な例ではありますが、
教師が指導書を使わず、自身で授業を組み立てたとします。
その中で戦争に関する資料を掲示し、それが原因で生徒が心理的負担を受け医療機関での処置が必要になってしまった。↓— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 13, 2021
保護者から授業についてのクレームが来た場合、指導書を無視しているので、教師自身の責任になってしまいます。
しかし、指導書を使用していた場合は(教科書や指導内容は事前に教育委員会にも通知済みですので)↓— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 13, 2021
あくまでも指導書通りに授業をしただけということになります。
このように、多少結論ありきの道徳になったとしても、私は自分の身を守る方を選びます。
— 教員10年目 (@LYvmpMy3WpvgGmF) October 13, 2021
その話を理解した上で聞きますが教科書通りの答えじゃないとそれは違うと言う必要はありますか?
投稿主さんの娘さんは文章からですと否定されてるように見受けられますが、、その答えもあるが最後に教科書の答えはこうだよでもよくないですか?— TYUTORO (@GF_63194) October 13, 2021
少し話がそれますが自分の学校の現代文の先生は多少的を外れたこと行っても頑張って肯定しながら上手に模範解答も教えてくださる「授業が上手」な先生がいらっしゃいます
こういう先生は稀ですがこういう先生がいると生徒のモチベーションも上がります
教員10年?もされているなら色々な方法が— TYUTORO (@GF_63194) October 13, 2021
思い浮かばないものでしょうか?
これはあくまで個人的意見ですが頭の固い人が先生の中でよく見られるので改善して欲しいと思います
模範解答を出すなら先生は必要ないです
生徒同士で話し合うだけで十分です
生徒側として12年過ごしてきましたが教員ならまず柔軟性を養って欲しいです— TYUTORO (@GF_63194) October 13, 2021
私退職した身です。現職が言えないこと言います
他の教科ならおっしゃるとおり。しかし道徳は、何度も述べられていますように、教師が「身を守る」しかない変な教科です。
国の方針に逆らえば何される知れない、下手すると首が飛ぶ恐怖を長い間教師達は見せられてきた歴史があります。
一番厄介教科— 抹茶 (@nigerugakati) October 13, 2021
他の教科なら柔軟性をとのご指摘はごもっともですが、
こと道徳は
首飛ばされても子供の立場に立つ!みたいな覚悟でもない限り、教師の考えは生かせない。
ご指摘のように柔軟にする教師は、既に辞表を胸に抱いているのでしょう。
国の道徳に対する「指導」には、とても一教師が立ち向かえない現実です— 抹茶 (@nigerugakati) October 13, 2021