1966年(昭和41年)東京。とある主婦の買い物風景@retoro_mode pic.twitter.com/opfLFqyIPE
— JUNK (@XMbHWFpbX) January 28, 2021
八百屋さんのお会計はゴムで吊るしたカゴで、暗算の早さは憧れだった。
同級生のお家が豆腐屋さんで「ちょうだいなーっ」て声を掛けたり、お肉屋さんの横っちょの焼き鳥コーナーで、レバーを1本買食いしたり。
今みたいに買いだめに何をいくつ買うか頭を絞らないで、今日何食べる?で買い物していた。— kleinia (@_kleinia_) January 28, 2021
豆腐屋さん…見なくなりましたね。 pic.twitter.com/d9sUtxOXkS
— ぽんかん (@pom_can) January 28, 2021
失礼します。
冷蔵庫がとっても小さかったので、「まとめ買い」ってほぼなかったんです。だから毎日買い物に出ていました。
— 松本英雄 (@hmatsumot1) January 28, 2021
最後は「どうもお世話さま」かもしれません。
— こもも (@komomo0327) January 29, 2021
懐かしい風景!ありがとうございます!
思わずこの写真を思い出しました。
この一年後の昭和42年。
母と私の買い物帰りの一枚。
ウチは都内の呉服屋でしたが母は洋服にエプロン??
手には風呂敷と紙袋。私は長葱持たされてます。
おつかいのお供が大好きでした?? pic.twitter.com/z8A9ukNq21— Ramみか (@rammika0809) January 29, 2021
S41年かー 母が生きていた時代。
私はこの世に影も形も無い存在だ??
私の5才頃の記憶では、大人は白い割烹着を着てたな。
冬の寒い時期、保母先生方の白い割烹着と、
竿に干されるシーツの白さが、とても素敵で眩しかった。
私の母の年代はみんな《マイバック》だったんだね。— 珠利もも子(時々桃太郎)??画像送付禁止 (@gorumomosyan) January 28, 2021
この次の年にはツイッギーが羽田に降り立って、その次の年くらいにはお母さんたちもミニスカートを楽しみ始めたんだよね。で、若い子はマキシスカートへ目が移りはじめる時代の境目。
— きょ (@kyosshern) January 28, 2021