この1枚の絵が示す現実はとても意義深いですね pic.twitter.com/RMek1d3yEV
— くぼっち (@kyoikutochan) November 14, 2020
何故かこの風刺画を思い出しました。
「平等」「公正」「現実」 pic.twitter.com/FtqhHPPrco
— おにぎり (@ooo____wp) November 15, 2020
魚が木に登ることは、努力じゃどうにもならないけど、ほとんどの人にとって、受験程度の勉強は、努力すればなんとかなること
この点で画像と現実は違っているだからバカだと思いながら過ごすような人は、努力を知らない人だろうし、努力を知らない人には、たとえ才能があっても上手く使えないと思う
— 彗綺 (@suiki_ppy) November 15, 2020
クソリプすると教育システムを変えるより魚が自分から海に行く方が早い
自分の才能は自分で探した方がいいんじゃないかなあと思ってしまう— ガンダールヴ?? (@kanimiso___) November 15, 2020
試験が木登りなのに
「うちの子が参加できないのは差別だ!」って言って参加させられた魚— shutenO3 (@claiclo) November 15, 2020
も一つクソリプすると
「おたくのお子さん魚なんで海で泳がれたらいかがですか?」
と提案すると
「うちの子が木に登られへんていうんか!それを出来る様にするんが教師やろ!親はなんもせえへんけどな」
と言われる現場。
— れおな (@leona_ozaki) November 15, 2020
スポーツや芸術で非凡な才能持ってる子は学校に縛られず努力次第で実績をあげて高く評価されていたりする。
反対に非凡な才能を持たない俺たちからしたら読み書き算数から常識までバランスよく教えてくれて、大学・就職まで導いてくれる現行の教育システムは大変ありがたいものだと思うけどなぁ。— ?? 手乗りハムスター提督? ??? (@hamhamsters) November 15, 2020
生まれつき非凡な才能を持っていてそれを開花させて活躍したい人もいるのは確かだろうけど、現実には常識的な枠内で事故なく生きていきたい凡人の方が大半なわけで…。教育システムをどちらに合わせるべきかといったら後者だろうなぁ…特段才能がなくても生きていけるようにしてあげる教育が大事。
— ?? 手乗りハムスター提督? ??? (@hamhamsters) November 15, 2020
自分もそんなふうに思えました。
「あれ?俺ペンギンだと思ってたけど意外と木登りできるな!」みたいな経験があったので…。木登りが社会で役に立ったか?と言われたらNO!かもしれないけど、「やってみたら出来るようになるかも」と思える体験が行動・挑戦を後押ししてくれる。
— よしむ@CubicBunny (@kent446) November 16, 2020
虎の親が子供に狩りや生き方を教えるように、人間が人間に課してる基礎教養が義務教育で、それ以降は好きに生きることになります。
やりたいことによって求められてる事も変わるし、木登りを求める仕事もあれば、泳ぎの能力を求められることもある。だから割と今はいい時代な気がします。— 青空ホライゾン (@kotatuhuton) November 15, 2020
ちなみにこれアインシュタインの言葉
— ラリーボーイ(オセロ) (@ralliken) November 15, 2020
全てのタイプの知性が備わっている人はいない。
だが、誰もがみな、多少でもこのどれかのタイプの知性を授かっている。
すべてのタイプが異なる混ざり方をしているだけだ。
アインシュタインはこんな言葉を残した
人は皆天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はだめだと信じて生きることになるだろう
ー アルベルト・アインシュタイン ー
魚は泳ぎの天才だが、陸に吊り上げられてしまったらその能力を発揮することはできない。
あなたの中には眠っている知性がある。
それはあなたの望むものではないかもしれないが、世界はあなたを必要としているし、あなたの知性をそこで生かしてくれるのを待っている。
このことを知るべきだ。