子どもを産んでから2年ほど、忙殺されていた。子どもは雑音に敏感なタイプで、一切の生活音を嫌った。蛇口から流れる水音も、炊飯器のメロディも、子どもにとってはノイズだったようで、音がする度悲壮に泣く子にわたしは困惑して生きた。テレビを無音でつけ、雨戸を閉めて密室の長い時間を過ごした
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
乳児検診で幾度も相談した。周りの子どもたちの声にパニックを起こして泣く子を見た保健師には、「大丈夫よ、お母さんが気にしすぎなのよ」と諭された。音楽も聴けない日々が続いた。家電のサイトを見ては「音の出ない炊飯器」を探した。一日の大半は音に起因するギャン泣きをあやすことで消えていった
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
わたしは毎朝観ている歌のお兄さんお姉さんの声も聞いたことがなかった。子どもの泣き声が頭の中にも外にも満ちていた。安寧がなかった。抱っこ紐で買い物に出れば、家を出た途端に真っ赤になって泣き出す我が子が、如何に絶命しないうちに早く用事を済ませて帰宅するかという緊張に常にさらされていた
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
転機が訪れたのは2歳の誕生日だ。子どもになにをあげようかと抱っこで寝かせた子の背後でスマホを見つめていた夜に、防音イヤーマフを見つけたのだ。もう装着できる頭囲に達していたし、一条の光明を見た思いで購入した
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
届いたそれは思いの外ゴツかったが、子どもはひと目で気に入ったようで、「カッコイイ」と述べ素直に着けさせてくれた。初めて、雨戸を開けることができた。初めて、苦しげに泣いていない子どもと外を歩くことができた。謝り続けることなく電車に乗れた。轟音の地下鉄にさえ乗れた。世界が一変した
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
身を捩り泣いていない子はこんなにかわいいんだ、と思った。泣く子がかわいくないわけではないけれど、しょっちゅう辟易してはいたし、そんな自分を憎み恨み一念発起してはまた辟易するという一連の心情推移に翻弄されない生活は健全だった。空が青いことも木々が緑なこともわたしは思い出し始めていた
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
テレビの音も出せるようになり、ある日『おかあさんといっしょ』を観た子どもは「カチコチカッチン、お時計さん」と初めて歌を口ずさんだ。イヤーマフ越しに触れる世界の音を、子どもが受け入れた瞬間を見た気がした。わたしはその夜嬉しくて、産後約2年半ぶりに「なにか音楽を聴こう」と思い立った
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
寝ついた子どもの足元で、ドキドキしながらイヤホンを装着した。なんだか悪いことをしているような気がしたけれど、幸福に満ちていた。今日は子どものおうた記念日で、わたしにとってもおうた記念日なんだ。好きな曲を聴こう、夜泣きまでまだ何時間かあるから――その時、ハタと気づいた
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
わたしは何が好きなんだっけ? 出産育児の日々を経て、わたしはもとの自分をどこかに落としてしまったらしかった。久々に開いたiTunesのプレイリストは、記憶には懐かしいのにひどくよそよそしかった。それでもわたしは嬉しかった。新しい日常が始まったのだから
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
音楽の思い出を、これからひとつひとつ積み上げていこうと思った。知らない曲に出会おう。知らない人の音楽に出会おう。選り好みせずなんでも聴いてみよう。子どもがこれから触れる世界を広げるためには、わたし自身が広く音を知らないといけない。なによりわたしは産前の記憶さえ定かでなくなっている
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
あれからまた2年半ほど過ぎた。いまでは子どもはイヤーマフの存在も忘れ、うるさく歌って踊り狂う幼児に成長した。「炊飯器の電子音とかがイヤなの。でもなんの音かもうわかるから平気」と言語化してくれるまでになった。そんな子どもが気に入っているのはPerfumeと『びじゅチューン』。趣向、掴めない
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
わたしは産前Perfumeもびじゅチューンも知らなかったし、多分知っていても通過していただろうと思う。子どもに世界を広げてあげようなどという上から目線の考えであらゆる音楽を履修した結果、子どもの取捨選択によりすごい音楽やすごいアートに触れる機会を与えられてしまった
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
すぐ斜に構えてしまいがちな性格で、なんでも疑ってかかる質で、新しいものに否定的な(こう書くとひどい)わたしは子どもの自由な選択に立ち会わなければ世界中の素晴らしい音楽を知ることもなかったんだろうと思うと、ちょっと可笑しくなる。世界は狭かったけれど、それはわたしがそうしていただけだ
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
炊飯器の音で泣いていた子に音のすごさを教えられるとはね。人生ってわからないし、人生って広い。今日はどんな曲を聴こうかな。
以上、深夜のひとりごとでした
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月3日
お褒めいただいてありがたいのですが、「お母さんが偉大だから乗り越えられる」わけではないのですよね。ひとりの人間が育児で過剰に責任を背負い込まざるを得ない、そしてそれが母親であることが多いのが日本の育児の現状のように思います。世論が変わっていくことを望みます
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月4日
とんでもないです、こちらこそいただいたご感想に重箱の隅をつつくようですみません。「ほかの人に代わってもらえない」という母親神話的な現状がいずれ終わり、社会が共にある育児が当たり前になったらいいなと思います^^
— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月4日
素敵な世界です
私の娘は弱視です。生後半年にはおかしいと気付き、低体重で通院していた大学病院の先生に伝えましたが、お母さんの気のせいと。
一年後にはっきりと斜視が出て「もっと早く気付けていれば良かったのにね」と同じ大学病院の眼科の先生に言われました。
あの悔しさは忘れられないです。— peta (@petamegane) 2020年5月4日
ありがとうございます。
乳児健診、集団型だと進行に気を取られて内容が適当になる場合がどうしてもあるように感じます。もちろん現場の方はベストを尽くしておられるのでしょうが、わたしの受けたところでは「内容が浅いなあ」という印象が拭えませんでした。難しいですね…— 雨 滴 堂 @?? (@Utekido) 2020年5月4日
通りすがりですが失礼します。
自分も今中学生で、聴覚過敏気味です。生活音の全てという訳ではないですが、音に敏感で救急車の音に泣き叫んだりしていました。
ツイートを見て家の母も苦労したんだろうなと思いました。
母の日も近いことですし、母に感謝したいと思います。— そら (@Sorafuta0810) 2020年5月4日