「ヒッチコックの映画術」は本物なんだなと改めて感心しっぱなしである

いま、わたしたちがこうやって話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられていたとしよう。

しかし、観客もわたしたちもそのことを知らない。

と、突然、ドカーンと爆弾が爆発する。

観客は不意をつかれてびっくりする。

これがサプライズだ。

サプライズのまえには、なんのおもしろみもない平凡なシーンが描かれただけだ。

では、サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか。

観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストかだれかに仕掛けられたことを知っている。

爆弾は午後一時に爆発する、そして今は一時十五分前であることを観客は知らされている。

これだけの設定でまえと同じようなつまらないふたりの会話がたちまち生きてくる。

なぜなら、観客が完全にこのシーンに参加してしまうからだ。

スクリーンのなかの人物たちに向かって
『そんなばかな話をのんびりしているときじゃないぞ!もうすぐ爆発するぞ!』
と言ってやりたくなるからだ。

最初の場合は、爆発とともにわずか十五秒間のサプライズを観客に与えるだけだが、あとの場合は十五分間のサスペンスを観客にもたらすことになるわけだ。

つまり、結論としては、どんなときでもできるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。

サプライズをひねって用いる場合、つまり思いがけない結末が話の頂点になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。
『ヒッチコック映画術』p.60-61