厚生労働省は、新型コロナウイルス感染症の本格的な流行に備える目的で、その規模を仮定として示すシナリオを都道府県に示しました。


もちろん、このシナリオは、一定の根拠をもって示されています。北海道大学の西浦博教授らをチームとする研究事業において、数理モデルの手法を用いて新型コロナの流行動態を推計したもので、基礎データとしては、中国政府や研究者が発表している疫学情報のほか、武漢からチャーター便で帰国した方々の症状、国内で確認された患者さんの臨床経過や疫学調査の結果などが用いられています(詳細は間もなく公表予定)。

その一方で、2月末から呼びかけられているイベント自粛であるとか、テレワークの取り組みとか、臨時休校といった介入効果については、データ上には盛り込まれていません。ですから、これらの介入に効果がみられれば、実際の流行開始はさらに遅くなり、かつピークは低くなる可能性があります。

ちなみに、2009年8月、新型インフルエンザが全国的に流行する直前にも、厚生労働省は流行シナリオを示しています。実際には、多くの都道府県において流行規模はシナリオの半分以下であり、入院患者数も大きく下回る結果となりました。ただ、ひとつのシナリオがあったことで、地域における医療体制を確認し、必要なところを補強することができたのです。

という前提を抑えておいたうえで、沖縄県を事例としながら、このシナリオに基づいて医療体制を検討したいと思います。

<発症者数>

発症者数は、基本再生産数(R0:ある感染者が他に感染させる平均人数)と発病間隔により導かれます。このシナリオでは、季節性インフルエンザより若干高めに仮定されています。

ただし、前述のように、現在はイベント自粛や臨時休校などが行われていますから、さらにR0は低くなっている可能性があります。また、R0には地域差があることも知られており、過密な都市部では高めに計算し、過疎な地方県では低めにした方がよいかもしれません。

では、与えられた計算式に国勢調査の人口統計を代入して、沖縄県で計算してみると・・・ ピーク時の発症者数は約4,452人であり、その内訳は、小児 445人、成年 2,587人、高齢者 1,420人となりました。

このシナリオに基づけば、感染症指定医療機関など県内の総合病院の外来だけでは、ピーク時には対応できなくなるでしょう。とくに、総合病院では(後述するように)入院が必要な中等症以上の患者の受け入れに忙殺される可能性が高く、いかに軽症者を一般診療所へと誘導していけるかが、ピークを乗り越えるカギとなりそうです。

とはいえ、感染症の大流行が起きるわけではありません。この発症者数は、例年の季節性インフルエンザと変わりないのです。違いがあるとすれば、発症者が小児よりも成年と高齢者に偏っていることぐらいですね。ただ、不安になった軽症者が救急外来に詰めかけたりすると、医療の機能不全が起きてしまう可能性は確かにあります。

いつものインフルエンザのように、重症化リスクの低い若者たちが落ち着いて行動し、各医療機関が必要な感染対策をとりながら外来診療を行っていれば、この流行は乗り越えられると考えられます。特殊な外来診療体制を検討することは、少なくとも現時点では必要ありません。

<入院患者数>

入院患者数は、中国政府が公表している患者情報をもとに、入院を要する患者の数を導き出しています。沖縄県で計算してみると・・・ ピーク時の入院患者数は約1,861人であり、その内訳は、小児 124人、成年 178人、高齢者 1,559人です。

いま、患者数が増大している地域では、感染症指定医療機関から順に入院病床を確保していると聞いています。しかし、こうした積み上げ式の考え方では、容易に限界を迎えてしまいます。そして、常に病床を探し続けることになってしまうでしょう。これは、残念ながら治療の遅れにつながりかねません。

今回、このシナリオが示されたことをきっかけにして、ぜひ、地域(医療圏)ごとにピーク時の入院患者数を前提として、どの病院で受け持つのかを割り振ってください。その上で、入院を受け入れる医療機関の順番を決めていきましょう。

ちなみに、沖縄県の急性期病床は、現在、6,292床しかありません。病床稼働率は県平均で約90%なので、せいぜい空床は600床ですね。よって、既存の急性期病床で1,861人を受け入れるためには、通常とは異なる調整が必要となってきます。

たとえば、脳梗塞後であるとか、誤嚥性肺炎後であるとか、急性期の治療が終了していて状態が比較的安定している入院患者については、できるだけ早期に回復期病床や高齢者施設へと転院/退院させておくこと。診療所による在宅医療で対応可能な患者さんについても、なるべく早めに退院いただく。急を要さない予定手術については、できるだけ延期しておくこと。

こうした対策について、いまから検討しておくべきでしょう。このウイルスが地域で流行したときには、入院できない患者さんが発生しないように、在宅医療から回復期、急性期に至るまで、地域医療が力を合わせる必要がありそうです。

<重症患者数>

重症患者とは、呼吸不全により気管挿管を施行もしくは集中治療室(ICU)に入室する患者のことです。入院患者数と同様に、中国政府が公表している患者情報をもとに、重症状態にある患者の数を導き出しています。沖縄県で計算してみると・・・ ピーク時の重症患者数は約64人であり、その内訳は、小児 5人、成年 9人、高齢者 50人です。

これらの患者は、一般には集中治療室(ICU)に入室して治療を行います。沖縄県の集中治療室は全部で140床です(新生児と周産期を除く)。これらは空床ではなく、稼働している病床が多いですから、64人の受け入れというのは厳しいシナリオです。ただ、これに準ずるハイケアユニット(HCU)であれば、沖縄県には118床あります。合計で258床となりました。でもまだ、持ちこたえられないでしょう。

術後の患者さんがICUに入ることが多いので、予定手術をできるだけ先送りすること。一般病床で対応できる患者さんについては、なるべく早く転床いただくこと。とにかく、やり繰りして64床を確保できるかどうか、地域で話し合っておく必要があります。

もうひとつ、ICUやHCUに関しては大きな課題があります。それは、その多くが大部屋だということです。とくに新型コロナウイルス感染症の患者さんに気管挿管を行った場合には、エアロゾルによる空気感染のリスクがあると考えられています。ですから、重症者の受け入れは病棟単位で行わなければなりません。

たとえば、私の病院のHCUには8床ありますが、その一部ではなく、室全体を新型コロナ重症者用の病床として、ICUの14床については他の疾患の重症者ように確保するといった考え方も検討されます。

あるいは、全国一斉に流行するわけではないと考えれば、ECMOを要するなど、高度な集中治療を要する患者については、都道府県を越えて支えあうという考え方も必要になってくるでしょう。

シナリオとは言え、重症者用の病床確保は極めて困難な印象がありました。90歳を超える寝たきり高齢者に対して、本当に気管挿管をして厳しい治療を強いるのか・・・ という生命倫理すら突き付けられるかもしれません。

繰り返しますが、厚生労働省は、今後の流行規模を推計しているわけではありません。あくまで、様々な介入を行っても何ら効果がなかったときも踏まえて(通常、そのようなことはありえないのですが)、どのような流行をイメージして地域ごとに対策を整えていくべきかを示したのですね。

ただ、やっぱり・・・ 地域での流行が始まるとしても、このような急速な流行の立ち上がりとならないよう、症状のある方は外出自粛を守っていただき、感染拡大のリスクとなるようなイベントは自粛いただくことが重要なのです。

そして、重症化しやすい高齢者や基礎疾患を有する方へと感染させないこと。高齢者施設に持ち込ませず、そこでのアウトブレイクを防ぎましょう。基礎疾患を有する方が集まる救急外来を混雑させず、そこでの院内感染を防ぎましょう。

実のところ、新型コロナウイルスとの戦いとは、公衆衛生によって勝負が決するのかもしれません。