情の深い人ほど「こいつはあかん」と思ったときに一切の隙も与えず見限る。完全に背中を向ける。情が深いのは、あかんと思うまでの辛抱が長いことでもあり、あかんと思ったときにはすべての情を使い果たしてるから。でも情をかけられてた人間にはそれが理解できない。裏切られたと思ってしまうんだな。
— 及川眠子『誰かが私をきらいでも』発売中 (@oikawaneko) 2020年1月4日
情が深いというか、『自分が悪いのかも?』と思いがちな人間もしくは状況判断に時間がかかる人間と、相手が文句言わないなら何やっても良いと疑わない人間では、前者の堪忍袋の緒がとうとう切れた瞬間に、後者は『裏切られた!』と叫んで被害者ぶり始めるんだと思う。
— めのう文庫(まりも) (@mari_mon) 2020年1月5日
ストレスを感じながらもその相手と長く関わってしまった理由は必ずしも情の深さとは限らないかと。じゃあ何なんだ?と言うとそこは色んなケースがあるんだろうとしか言えませんが、少なくとも私は情の深さではなかったので、関係が切れた時は本当に気持ちが晴れ晴れとしました。
— めのう文庫(まりも) (@mari_mon) 2020年1月5日
学生時代からの10年近い付き合いの同性の友人を一人フェードアウトしながら切ったことがありました
ただし私のは情が深かったというより、自分が虐められっ子気質で、彼女を失ったら他に私を相手する人などいないという自信の無さからきている自己中な理由だったように思います— saeki (@saekimitsugu) 2020年1月4日
蹂躙しやすい者への嗅覚が鋭い人種がいるのだと分かる今では、あの頃のように合わない人に心を腐らせ砕くことがなくなりましたが、当時は何故私のとこには私を踏みにじる人間しか寄ってこないのだろうと本気で悩んでいました
— saeki (@saekimitsugu) 2020年1月4日
切る時はスパッと断ちます。自分でも驚くほど。それまで辛抱したというよりも、「あかん!」と感じた瞬間に自分の身を守るモードに入るという「動物的な勘」に近い。「裏切られた」と思う人は、自分の思い込みやおのれの考えの甘さに勝手に裏切られただけであると思うよ。相手を責めるな。
— ぶんたま (@4eH5pwSdnHsG82T) 2020年1月5日
完全に見限ることもまた情の深さなのかなと感じています。
情を掛けていた状態から、無情な状態というコントラストをつけることで、いかに自分が情を掛けたられていたのかを気づくきっかけを与えることにつながるのだと思います。
情が浅い人は見限ることはありませんが、情を掛けることもありません。— ケイ??日々定時帰り (@mikaitabi) 2020年1月5日
「なんか変だな。合わないかな。」が積み重なって、ある日「もう無理。言ってもわかんないだろうな。」ってなるかも…途中で「それはおかしい」って言える相手とは縁が続いていくような…
— ぽふぽふ (@sasakure0777) 2020年1月5日
大人になってから、2人ほど…
サヨナラしました。
きちんと理由を説明してあげなかったことが、後から引っかかっていますが、多分説明したところでわかってはもらえなかっただろうと…周りからは、よく付き合っていたよねと言われる人でしたので。— いし子 (@ishiko2) 2020年1月4日
私は親と絶縁した。
家族という病に立ち向かい治らない事に気づいたから。
親への片想いを止めたら、強迫性障害が激減した。
親子でも他人です。— 北の国のシロイクマ (@polarbear117) 2020年1月4日
最後にできる優しさでもある。
— ナワッチ (@tomes_diner0312) 2020年1月4日