今日ものすごく多くの人が「十二単を着て宮中を歩く妃の姿」を見たと思いますし、もちろんあの姿で歩けば「衣擦れ」の音が響くわけです。
さてそこで古典オタクは想像が膨らみます。『源氏物語』第一帖「桐壺」で、光源氏の母、桐壺更衣が住まわされた部屋は内裏(平安京ね)の北東の端にありました。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
その北東の端から、帝(桐壺帝)が居る部屋まで、夜、呼ばれて行くためには、多くの、別の妃が住む部屋の前を通らなければなりません。桐壺更衣は帝の寵愛を受けていた、という記述がありますから、他の妃たちは毎夜のように、自分の部屋の前をとおる「シャーッシャーッ」という音を聞いたわけです。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
平安時代、宮中の「性」は公務です。それぞれの妃は親や兄弟、一族の未来を背負って宮中に送り込まれています。それが、自分たちの家よりはるかに格下の出身者が帝の寵愛を受ける、それも毎夜、自分たちの部屋の前を、衣擦れの音を立てて。つまりこれ、屈辱と憎悪を生むに充分な条件だったんですね。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
事実、桐壺更衣は他の妃から嫌がらせを受け(廊下に、通れないように汚物を撒かれたりした)、帝はそうしたイジメを公然と止めることができず(他の名家出身の妃を愛さないことは公務怠慢でもあるので強く言えない)、桐壺更衣は光源氏を生んで間もなく病気になり、亡くなってしまいます。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
今日のあの、和装で宮中を歩く妃の姿と、そこに響いたであろう衣擦れの音を想像すると、あー、『源氏物語』の時代と現代に繋がる文化があるって、すばらしいなーと思うわけです。はい。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
多くの人が面白がってくれているようなので追加情報を。
この『源氏物語』第一帖「桐壺」の、嫉妬と悲恋劇には明らかに史実のモデルがあります。
桐壺帝は一条天皇、桐壺更衣は藤原定子。定子は関白藤原道隆の娘で最高の名家出身でしたが、後ろ盾である道隆が亡くなったあとは、宮中で孤立無援でした。— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
頼るべき親類がいない中、それでも定子は一条天皇の寵愛を一身に受けていましたが、しかし周囲の貴族から白眼視され、定子は24歳で幼い息子を遺して亡くなります。
こうした宮中のありようを見て、紫式部は『源氏物語』の序盤を書いたと言われています(それが話題になり、藤原道長に雇われた)。
— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
ピンと来た方も多いと思いますが、この一条天皇と藤原定子の恋は『枕草子』にも描かれています。
日本文学史上最高峰の物語(源氏物語)と、最高峰の随筆(枕草子)は、ひとりの天皇とひとりの妃(中宮)の出会いと死別をキッカケのひとつとして生まれているんですねえ。— たられば (@tarareba722) 2019年10月22日
宮中では女性が男性の部屋に行きます。(宮中の中で女性を囲っているので。)
宮中以外での当時の恋愛(?)は、男性が女性の館に行きました。(ちなみにその前に文でやり取りします。)— 草 (@kusa39) 2019年10月22日