私見だが、悲しみ慣れていない人の語る悲しみはやたら湿っぽく、悲しみ慣れている人の語る悲しみはひどく乾いている。前者は涙を流している時のことを中心に語るが、後者は涙が涸れた後のことを中心に語る。孤独についても同じことが言えて、孤独に不慣れな人の語る孤独には、まだ誰かの体温を感じる。
— 三秋 縋 (@everb1ue) 2019年6月29日
個人的な意見ですが、やたらと同情を求めてくる話し方をする人は悲しみに慣れてなくて、自分の事をわざと他人事のように話す人は悲しみに慣れているのだと思う
— だんでらいおん@幻風景 (@TeS0K0a9EIZbWJT) 2019年6月30日
孤独に慣れた人は
長い間 孤独に耐え
悲しみがずっと本当には消えぬまま
心の底にふりつもり
とけない氷になっている。
すくってくれる人はいないと
理解したから
自分で自分をどうにか励まして
生きのびてゆくすべを身につけ
大声で助けを求めることなどない。
倒れても 痛む体が動ける時を待つ— mary.poppins (@mary31049059) 2019年6月30日
これは素晴らしいツイートですね。
マフィアやヤクザでも,下っ端ほど悪さをした話を得意気に語るそうです。
上に行くほど,たんたんと語るそうですm(__)m
— 南原、東大目指してる奴 (@nken1103) 2019年6月30日