「お腹すいたからラーメン屋さんに行こうよ」
ある日、奈美に誘われました。
近所のラーメン店がどうやら人気で、行列が絶えないそうでした。
並ぶことが苦手な私はなんとなく避けていたのですが、その日はたまたま空いていたので入ってみることにしました。
「いらっしゃいませ-……あっ」
元気よく出迎えてくれた店員が、ぎょっとしたような表情に変わりました。
たった数秒でしたが、何か気まずそうにあちこち視線を巡らせています。
それもそのはずでした。
開いた扉の向こうに見えたのは、高いカウンター席と丸椅子。
車いすで入れるようなテーブル席は見当たりません。
これは入ることができないとすぐにわかった私は、奈美に目配せをして「やめておきます」と店員に言いました。
振り返ろうとすると、店員さんが慌てて呼び止めるのです。
「ちょっと待ってください」
「えっ?」
「せっかく来てくださったんだから、ラーメンを食べてもらえないでしょうか」
「でも……」
「何かできることはないですか?どうすればよいか教えてください」
そんなことを言われたのは初めてだったので、私も奈美も戸惑いました。
けれど、不思議と嫌な気持ちにはなりませんでした。
店員さんが困った顔ではなく、気さくな笑顔で尋ねてくれたからかもしれません。
「カウンターが高くて届かないので、低いテーブルはありませんか?」
「す、すみません。カウンターしかないんです」
「せめて背もたれのある椅子があれば、移乗できそうなのですが」
「背もたれですか?うーん……」
店員は考え込みながら、店内を見回していました。
気づかいはとてもありがたいけれど、やっぱり無理だろうなと思っていると、店員さんが「あっ」とひときわ大きな声を上げたのです。
「この椅子は……どうですか?」
そう言って店員さんがおずおずと見せてくれたのは、子ども用の椅子でした。
背もたれと肘掛けのみならず、足の置き場まであります。
確かに条件としては完壁です。
大人の私が座ることができれば、の話ですが。
「さすがにこれはまずいですよね、申し訳ありません」
店員さんがそう言って椅子を引っ込めようとしたのですが、今度は私が彼を呼び止めました。
「ちょっと待ってください。座れるかもしれないので、一回試させてください」
幸い、下半身が麻痺していることによって細身だった私は、奈美の手を借りてすっぽりと椅子に収まることができました。
奈美は大爆笑していましたが、これでなんとか美味しいラーメンを2人で食べることができました。
こういったカウンター席しかないお店ではいつも入店を断られていた私です。
「入れない」「できない」の一点張りではなくて、「どうすれば入れるのか」を一緒に考えてくださった気持ちこそが、何よりも嬉しかったのです。
別の日には、こんなこともありました。
美容室に行くため、予約の電話を入れることになりました。
行きつけの美容室が定休日で、その日は急用でどうしても新しい美容室を探さなければいけませんでした。
「もしもし、パーマの予約をしたいのですが」
「はい、それではお日にちの希望を教えてください」
「ええと、車いすに乗っているのですが入ることはできますか……?」
電話口の向こうで、あっ、と息を呑むような声が聞こえました。
小さく「申し訳ございませんが……」とこぼすのを聞いて、ああこれは断られるパターンだなと直感しました。
しかし、続けられたのは意外な言葉でした。
「当店には入り口に20センチくらいの段差が一段、店内にも同じ段差があります。
このような状況で大変お恥ずかしいのですが、お越しいただくことはできますか?」
彼女は店内の設備を丁寧に説明してくれたのでした。
「それくらいの段差であれば、一人の方に押していただければ大丈夫です。お手伝いいただくことはできますか?」
「もちろんです。ぜひいらしてください」
私は無事に、その美容室で施術してもらうことができました。
この時もウェルカムな雰囲気で迎え入れてくださったこと、私が安心して訪れることができるようにいろいろと尋ねてくださったことが非常に嬉しかったのです。
私は車いすに乗っていて、歩くことができません。
階段しかないお店へは入れず悔しい思いをしたことが、何度もありました。
でも、段差や階段をなくすことができなかったとしても、人から手を貸してもらえば私は店内でラーメンを食べたり、髪の毛を切ってもらったりすることができるのです。
勇気を持って「手を貸してください」と伝えれば、そしてお店側が受け入れてくれれば、目の前にあるバリアを乗り越えられることに気がつきました。
大切なことは、できないと諦めるのではなく、歩み寄ることでした。
ハードは変えられなくても、ハートは変えられる。
この経験から、私が学んだことです。