77年前の今日。1945年8月6日8時15分,広島市への原子爆弾投下。推定人口35万人のうち,9万?16万6千人が,被爆から2?4か月以内に死亡したとされる。写真は呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍工廠砲煩実験部から尾木正己が撮影したきのこ雲。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/y7pyAtormO
— Hidenori Watanave, Ph.D. (@hwtnv) August 5, 2022
こちらが元の白黒写真。 pic.twitter.com/lb2DwDdEuv
— Hidenori Watanave, Ph.D. (@hwtnv) August 5, 2022
半藤一利さんの著書に、
八月や 六日九日十五日
という句があったことを思い出しました— Nobuaki Hamada (@daijing66) August 5, 2022
当日、当時子供だった母(今も健康健在です)は呉で「ドーン」と雷落ちた音がしたと思ったそうだがそのまま畑仕事してた。
そしてしばらくして祖母の「ありゃあ、なんね?」の声で頭を上げたら大きな柱のような雲が有った。
「大巨人見たいに大きくて怖かった」そうです。— 小平徹 (@Tohru_Kohira) August 6, 2022
→そして夕方位になって呉市内でも
「なんか広島が、おおごとになっとる(大変になってる)」という話で大騒ぎで話す大人達が、ようけおった(沢山居た)と。「近所からもトラックの荷台に人がいっぱい乗って広島に応援(救援)に行くの見たんよ」と。— 小平徹 (@Tohru_Kohira) August 6, 2022