さっき、曽祖母から電話がかかってきた。連絡をマメにしない人なのに。
テレビで玉音放送を聞いた。思い出したことがある。言って、曽祖母の携帯に三つしか入っていない連絡先のなかから、わたしに電話がきた。祖母でもなく大叔父でもなく、なぜ。
覚えておくためにツイートさせてほしいです。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
実はわたしは曽祖母の本当の年齢を知らなくて、今日初めて知った。終戦当時は12歳だったそうで。つまり今は87歳?すごくおばあちゃんだったんだなと改めて感じた。
曽祖母は戦時中の話をしたがらなくて(そりゃそうだ)、いつだって「終戦のときは3歳やった」「まだ産まれてないわ」とかごまかしていた。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
話が逸れてしまったけど、つまり曽祖母は情緒が豊かに成長していく時期を、戦争と共に過ごしたということで。「戦争の何が怖かったとか、そういうのはなかったね。信じとったからね。勝つってね」と言う。
戦時中のこともいろいろ聞いたんだけど、それはきちんとメモしたので、置いておく。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
テレビから流れてくる昭和天皇の声を聞いて、玉音放送を初めて聞いた日のことを思い出したらしい。当時の暑さとか、自分の気持ちとか、そういうのが思い出されると共に、曽祖母が人生で一番恥ずかしかったことも思い出したと。
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
曽祖母は6人兄弟の末っ子。名前は伏せますが京都の山の方に住んでいたそうで、本当にたまたま終戦の日まで、空襲が間近であったりだとか、そういうことはなかったと。父は農家と一緒に金貸しをしていたくらいには裕福で、食べものに困ることもなく、むしろ疎開してきた子供がひどく痩せているのを見て
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
ああ、戦争なんだなあとしみじみ感じていたそうです。
「そんな能天気なわたしでも戦争に勝つんだと信じていたし、何より特攻隊の方や戦地におられる兵隊さんのような立派な方に、自分の子供を育てるんだと思ってたんよ」と言った曽祖母の表情を、見られなかったことが悔しい。会って話したかった。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
8月15日当日、家族揃って放送を聞くも途切れ途切れで聞こえず。解説放送もざらざらという音がする。「いよいよ本土決戦なの?」と母が言ったことに、少なからず怯えたことだけは覚えている。何が何だかわからないままで放送が終わって、仕方ない、畑行こうかと昼食をとって畑へ行ったそうです。
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細い道を下ってしばらく行くと、親戚の家がぽつぽつとあった。挨拶がてら中を覗くと、みんなの様子がおかしい。曽祖母が姉とともに尋ねたところ、「どうやら日本は負けたんじゃないか」と誰かが言ったそうです。
そこで気が抜けてしまったのが曽祖母らしいというか、彼女は思わず笑ってしまったそうで— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
「なんだ、じゃあもう爆弾が落ちるって心配しなくていいんだ」って。「こっちに来なくて助かった」って。
新型爆弾が一体なんなのかも、ほとんど情報がなかったときです。12歳の子供には、これからの不安よりもとりあえずの安心のほうが上回ったとのこと。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
そしたら、部屋の奥の方から「ばかやろう」と聞こえて、そちらを覗くとどうやら曽祖母よりも幾つか年下の男の子が叫んだ言葉だそうで。
「なんで酷いこと言うんよ」と訊くと「日本が負けたんや。ここだけが助かったんとちゃう。のうなった街もあるんや」と。少年は近くにあった芋を投げてきたと。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
当時、遠い親戚や友人の子供が街から何人か疎開してきていたらしく、その少年も神戸の子だったそうです。いわゆる戦災孤児。芋がぶつかった痛みで顔を覆うふりをしながら、曽祖母は恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかったと。
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何が恥ずかしかったって、まずは、あれだけ一丸となって戦うと教えられていたのに自分が助かればいいと思ってしまったこと。それが申し訳なかったと。自分より年下の子に叱られたショックがすごく大きかった。
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
そして何よりも、自分だけ助かればいいとか、あっちに爆弾が落ちたから助かったとか、そういう人間を醜くする感情を抱かせるのが戦争だったんだなと気づいて、とっさに「自分の子供に顔向けができない」と思ったそうです。
これを聞いたとき、わたしはすごくびっくりした。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
だって当時12歳の子供が、自分の利己的な気持ちを感じ、子供のことを想像して恥ずかしいと蹲るって、そんな、そんな凄まじいことってあるだろうかって。
その瞬間に曽祖母は戦争って間違ってたんだと気づいたそうです。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
「敵国やった国だって、おなじやったと思うんや」と曽祖母は語っていました。彼女は戦時中何度も、敵国に攻撃が成功するたびに喜びと「自分が敵国側じゃなくて良かった」とひしひし感じていたそうで。どうして敵国という括りでしか物事を捉えずに、向こう側から見た日本を想像しなかったんだろうと。
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
同じ日本でも、親を亡くした子がいる。足が悪いおかげで父は徴兵されず、家族全員助かった自分がいる。その差に愕然としたと。
「どうかあんたは人の気持ちを考えられる子になってよ」と言われた— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
そのあたりで施設の食事の時間になってしまって電話は慌ただしく切られてしまった。ただ最後に、「平和って難しいな。口では何とでも言えるんやけどな。ようさん人間がおるのに、みんな喧嘩せんなんか無理やわ。家族でも喧嘩するのに」と話す。曽祖母は息子の一人と色々あって縁を切っている。苦しい。
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
「難しいことは、考えるのをやめたなってまうけどな。ごめんやけどな、あんたら若い子に任せてしまって申し訳ないんやけど、お願いやから平和とかそういうことを考えるの、やめんといてな。みんなで幸せになろうな」と。何度も何度も謝られて、もしかして曽祖母はあの日の少年に対する懺悔を
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
今ここで果たしているのかもと思った。
みんなで幸せになりたい。曽祖母のみんなには、たぶん地球にのっかってる人間みんなが含まれているんだと思って、こういう曽祖母の元に生まれて良かったなとしみじみ感じました。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
75年以上前、敵国は滅びればいいと教えられ、本気で信じていた彼女が、わたしにみんなで幸せになろうと語る。本当にかけがえのない電話だった。
という、話でした。お付き合いいただきありがとうございました。— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
自分で打ち込んでいてしゅんとしたので、最後に一つ。曽祖母は最後、電話を切る直前に「あんたコロナで大学全然いけんくて大変やな。きばりや」と言われたんですが、わたしはまだ17歳です。以上。長生きしてほしい。
— ごま?? (@gooooma_0126) August 15, 2020
貴重なお話をありがとうございます。
うちの母と同い年です。当時長崎で、家の玄関から裏庭まで飛ばされたそうです。
うちの子にも話を聞かせたいのですが今年はできず。
当時を知る人の話を聞いた者として、ご自身の考えをしっかりお持ちください(また聞きの人たちに惑わされないように)— おひやん@見敵必撮 (@ohiyaphotograph) August 16, 2020