クリスタの練習がてらに父から聞いた東京大空襲の日の話を漫画にしました。
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— とよ田みのる (@poo1007) July 25, 2020
父は当時14歳だったそうです。
返信全てはできませんが全て父にも読んで聞かせています。
同じ体験をした人がいた話など感慨深げに聞いておりました。
漫画読んで頂いてありがとうございます。— とよ田みのる (@poo1007) July 25, 2020
私の祖母は長崎原爆の被爆者でした。35年前、戦後40年の年に亡くなり荼毘にふされましたが、骨が一切残りませんでした。全て灰でした。今年77歳の被爆者の母も灰だけになるかもしれない。被爆者二世の私は戦争を語り継ぐ使命があります。
— マサキ (@cIZbh04vGSvaYid) July 25, 2020
私の母は東京大空襲時、真っ赤になった空がトラウマとなり、夕焼けすら怖がっていました。
@江戸川区— 鬼灯 (@HO_ZUKIchan) July 25, 2020
お父様の感想が、なんだか考えさせられますね。祖父は成人していたので戦争経験のある人でした。戦時中、敵の潜水艦を爆撃する為に走行する船の上から爆弾を手で投げて落としていたという話は幼い頃武勇伝のように聞いてたけれど、やりたくなかった事だったんだって大きくなってから気付きました
— 瀧 (@Cassistar) July 25, 2020
江戸川区平井に住んでいた母は12歳でした。3月10日の空襲で逃げる時、祖母の機転で皆と反対方向に逃げたおかげで家族10人死なずに済んだそうです。家は全て灰。庭の土中に埋めておいた硝子の器がドロドロに溶けていて、火の怖さを思い知ったと話してくれました。一夜にして生活が一変したのです。
— えべちゃん (@ebechan918) July 25, 2020
私の地元も爆撃受けました。夏のことだったので、祖父たちは大きな穴を掘ってボンボン遺体を放り込んだそうです。
数年後に掘り出して服の生地や名札から必死で身分を割り出し「多分これがうちの子だろう」と引き取っていったとのこと。
毎年そのことを語る会があるのですが、もう難しくなってます。
— スイスイてる@美容 (@suiyou2103) July 25, 2020
私の祖母の額には、銃弾を取り出した後があり
その形に凹んでいました。
女学生の頃、都電に乗っていた際に襲撃されたそうです。あっ!と思った時には目の前が血だらけで、
隣に座っていた人は蜂の巣だった。
意識を失い、次に目が覚めた時は病院のベッドの上で
助かったのは数人だったそうです— ひぃた (@HBKLEERYT) July 25, 2020
いま、そのあたりに住んでいます。
こどもたちには「ここは焦土になって努力で発展した場所なんだよ」と時折言い聞かせています。— 野生のパフェ研究家 (@parfaitthestudy) July 25, 2020
ウチの親父んちは、門前仲町の魚屋だったんです。
翌日、疎開だったんですが大空襲に。
先に疎開していた直上の兄貴以外は、全員死亡親父は焼夷弾の爆発音で防空壕から飛び出し、コンクリート製の橋の袂下に逃げ込み助かったそうです。
まだ親父は9歳でした。
— ?????????????????? ???????????? (@ButlerMetabolic) July 25, 2020
江東区北砂で介護の仕事をしています。利用者様から、当時の空襲などの話を聞く事があります。認知症の方で、その時の話をする時だけは、はっきりと話してくれます。それだけ頭の中に残っているんでしょうね…。
— 一円切手 (@ichiyen) July 25, 2020