塾で教えていて、わりと衝撃的だったことの一つが「国語の教科書以外で、まとまった文章を読んだことがない子」の存在を、リアルに目の当たりにしたときのことだ。当時、その生徒は中学二年生だったが、計算問題以外は壊滅的で、その理由を探していたときに、ふと思い至って本人に確認をしてみた。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
「小説や物語は読むかい?」と聞くと「読まない」という。では「家に文字だけの本はあるかい?」と聞くと、やはり「ない」という。さらに確認してみると、家には「マンガ日本の歴史」のようなものが数タイトルあるだけだという。それを聞いて、僕はこれまで彼の見ていた世界を想像して、背筋が凍った。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
さらに僕はこう聞いた。
「もしかして、国語で文章を読むときに、どこかに『正解』が書いてあるはずだとしか読んだことがないのかな?」
返事は、予想通りだった。
「はい」
そうなのだ。彼にとって「言葉」とは、ただただ「正解の言葉」と「間違いの言葉」の二種類しかなかったのだ。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
その生徒は、間違いだと指摘されることを異様なまでに嫌う子だった。間違いだと言われた瞬間に、嫌悪感を露わにしたし、そのまま塞ぎ込んでしまい、その後しばらくは誰の言葉も耳に入らないような状態になった。ときに身体を震わせ、怒りなのか悔しさなのか、爪を立てるなど自分の体を傷付けさえした。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
何度かその生徒に「今の気持ちを何か言葉にできるかい?」と聞いたこともあったが「何かぐちゃぐちゃしている」というのが、お決まりの返答だった。それもそのはずで、なぜなら彼は自分の感情を表したり、理解したりするための「言葉」を、ただの一つも持ち合わせていなかったのだ。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
その生徒にとって「言葉」であり「文章」というのは、極端な言い方をすれば、どこまでいっても「意味」を持たないものだったのだ。ただひたすらに、周りの反応から「正解」だと認めてもらうために並べ立てるためのものでしかなかったのだ。「自分のため」の言葉を、何一つ持っていなかったのだ。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
つまりその生徒の中では、言葉は彼の周りの世界の何にも結びついていなかったのだ。誰かに「正解」か「間違い」かに振り分けてもらうことでしか、彼は自分の発した言葉を理解できなかった。そして彼にとって「間違い」は許されないことであり、また自分を「ぐちゃぐちゃにするもの」でしかなかった。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
この話は極端な事例だと思うけれど、これに近いことが今の教育の現状ではわりと頻繁に起こっているのではないかと、僕は感じている。「空気が読めるか否か」というのも要するに、言葉そのものの意味によってではなく「その場の雰囲気に正解することができるかどうか」でしかないのかもしれない。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
「文章が読めない」という話は、特にこのTwitterでは決まり文句のように頻繁に見かける話題だ。その原因の一つはもしかしたら、程度の違いこそあれ、このスレッドでお話した生徒のような人が、実はかなりの数いるということなのではないかと思ったりもする。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
そしてこの話は「本を読まないと、この生徒のようになってしまう」という話ではないし、逆に「本をたくさん読みましょう」とか「本を読めば大丈夫」とか言いたいわけでもない。言葉を教えることや、言葉を受け取ること、そして言葉を「自分のものとして使う」ことの難しさと大事さを感じてほしい。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
このスレッドを読んでくれた方々は(そしてそこにはもちろん、この文章を書いた僕も含まれている)、「運良く」言葉を「自分のもの」として使えるようになっているだけなのだと思う。だからこそ「できない」ことを責めても意味がない。自分たちができることを、少しでも伝えることが「教育」だと思う。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
蛇足だけど、塾の講師としての僕はこの生徒に、いわゆる勉強における「正解を書かせる」こともできただろうし、世の中にはそういう方法論がたくさんあることも、一応は知っている。けれど、僕にはどうしても、それが「教育だとは思えない」のだ。これからも僕は、僕が伝えられることを伝えていきたい。
— いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】 (@isa_kent) 2020年5月16日
はじめまして。塾講師経験のある者(教員免許所持)です。今は普通の主婦です。
スレッド拝見いたしました。私には難しく聞こえてしまい100%理解が及んでいないかもしれませんが返信させてほしいと思い筆をとっています。
「問題以外読んだことがない」
という生徒私も見てきました。
確かに(続きます— 穴鎌たまえ@白昼夢アマチュア作家 (@Anakamatamae) 2020年5月16日
そういうお子さんの家に限って、活字の本が圧倒的に少ないです。こう言うとまるでその親御さんが教育熱心ではないように聞こえますが、違います
よくある「間違い」が
本を読みなさいと言って子どもに難解な本を買い与えることです
(話はそれますが算数ができない小六の子に、どうせ使うからと
↓— 穴鎌たまえ@白昼夢アマチュア作家 (@Anakamatamae) 2020年5月16日
中学生向きの数学の参考書を買い与えるのと似ています)
何が言いたいかと言うと、
本を読むというのは習慣であり、
易しい本から始めるのが鉄則なのです小学校3年だからって
絵本から始めていいんです。もちろんです。絵本なんて大人も読みますそこがわかっていらっしゃらない親御さんが多いかな
— 穴鎌たまえ@白昼夢アマチュア作家 (@Anakamatamae) 2020年5月16日
とはいえ18年執筆しています。
最初はみんなそうなんですよね。
それを親御さんに分かって頂きたかったけど、なんか保護者と揉めることもあり、もう先生はやってません??長々と失礼いたしました。いさけんさんさんなら分かっていただけるかなと思い、打ち明けちゃいました??ありがとうございました
— 穴鎌たまえ@白昼夢アマチュア作家 (@Anakamatamae) 2020年5月16日
成人過ぎても全ての感動を「ヤバイ」でしか表現しない人に遭いました。すごいのも怖いのも困ったのも全てヤバイ。家族に大事にされていたけれど、逆に全部察して貰えて、自分の状況を説明する必要が無かったのかと思います。
— 桃の花針灸院 (@chikako_komai) 2020年5月17日
言葉(単語)を知っていてもリアルな感情、感覚が載ってこないとただの記号です。
本を読んでも意味がわからないから面白くない、続かないでしょうね。— 桃の花針灸院 (@chikako_komai) 2020年5月17日
うちは小さなお子さんをお持ちの方もよくいらっしゃいます。基本的な子供に対する姿勢はまず「それで?」と聴くこと。今までの自分の言葉では説明が足りないと気づくと一生懸命考えて、それが伝わる快感に気づきます。会話をいかに続かせられるかが大人の役割かと。
— 桃の花針灸院 (@chikako_komai) 2020年5月17日
俺もこういう子だったから気持ちはわかる。でも、こういう子を目の当たりにしたら何か言えるだろうか。
この子に自分に合っている本が早く見つかるように願う。— リク (@ricky0web) 2020年5月17日
ちなみに家にはたくさん活字の本があったし、父はよく「本を読め。漫画ばかり読んでると馬鹿になる」と言ってました。
でも「何を読めばいいの?」と尋ねると「なんでもいい。読め」とだけ返されました。
言葉、コミュニケーション、文字、感情、すべて繋がっていたのになぁ。— リク (@ricky0web) 2020年5月17日
自分もその生徒さんのような小学生時分を過ごしました。親からの期待が凄く、親が絶対で少しでも間違えると怖くて怯えてました。だから正解か不正解かに拘るというか、後が怖いぞどうする!と自分を責め、間違い・又は間違える事が社会では生き残れないぞというどこか切迫感もありました。
— マサちゃん (@a_d_i_d_a_s_) 2020年5月17日
子供が海外の学校に通った時に似ています。語彙を持ち合わせていないので自分の気持ちを表現出来ない。と言う事で言語の先生の指示で図書館で赤ちゃん向けの本を借りてきて沢山読みました。言葉と言うのは自分と一体になってこそ使いこなせる物だとその時知りました。長文も短い文の連続で
— NORITAMA インコの人?????Work@Home (@nori_tama_bos) 2020年5月17日
幼児用の短い文を読む練習をして行くと長い文が理解出来るようになります。幼少期の絵本はとても大切。もし、文を読むのが苦手かも?と感じたら易しい本に戻ってみて下さい。○歳だからこの本、親は○歳で読んでいたからあなたも読めるはずだと益々言葉の壁が高くなってしまいます。
— NORITAMA インコの人?????Work@Home (@nori_tama_bos) 2020年5月17日