【今日は何の日?】10月16日は「マリー・アントワネットの命日」
1793年10月16日、断頭台で処刑された。その最期の言葉は、処刑人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に発した「ごめんなさいね、わざとではないのよ」だと言われている。 pic.twitter.com/DRpDFwwzCi
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2019年10月15日
みんな知ってると思うけど、「パンがなければ」系はマリー・アントワネットは言ってない。 pic.twitter.com/Z0Mg3HP53H
— ???? (@83_hati27) 2019年10月15日
マリー・アントワネットは、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したと紹介されることがある(ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言とされることもある)。原文は、仏: “Qu’ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」となる。ブリオッシュは現代ではパンの一種の扱いであるが、かつては原料は小麦粉・塩・水・イーストだけのパン(フランスパン)でなく、バターと卵を使うことからお菓子の一種の扱いをされていたものである。お菓子ではなくケーキまたはクロワッサンと言ったという変形もある。なおフランスを代表するイメージであるクロワッサンやコーヒーを飲む習慣は、彼女がオーストリアから嫁いだときにフランスに伝えられたと言われている。
しかし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではないことが判明している。ルソーの『告白』の第6巻に、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公夫人が答えたことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつであるといわれている。庇護者で愛人でもあったヴァラン夫人とルソーが気まずくなり、マブリ家に家庭教師として出向いていた時代(1740年ごろ)のことという。
アルフォンス・カー(フランス語版)は、1843年に出版した『悪女たち』の中で、執筆の際にはこの発言はすでにマリー・アントワネットのものとして流布していたが、1760年出版のある本に「トスカーナ大公国の公爵夫人」のものとして紹介されている、と書かれている。実際はこれは彼女を妬んだほかの貴族たちの作り話で、彼女自身は飢饉の際に子供の宮廷費を削って寄付したり、ほかの貴族達から寄付金を集めたりするなど、国民を大事に思うとても心優しい人物であったとされる。トスカーナは1760年当時、マリー・アントワネットの父である神聖ローマ皇帝フランツ1世が所有しており、その後もハプスブルク家に受け継がれたことから、こじつけの理由の一端になったともされる。
マリー・アントワネットの傍若無人っぷりはほぼ全て後世の作り話なんだよなぁ。
本来のマリーは当時のフランス貴族ファッションの流行を作ったり、当時としては珍しく子供を自分で育てたりしてるんだよね。— かきく (@kakiku2000) 2019年10月15日
浪費が酷かったのは確かだけど、国が傾くきっかけはルイ14世位の時代からの宮殿建設・戦争費用・愛妾費が元だって聞いたことがある
国民にとっては敵でも、すごく良いお母さんだったことは確かだと思う
— 晴佳@受験につき低浮上気味 (@haruka_mamolove) 2019年10月15日
最初はワガママでおバカな人だと思っていたけど、それはただの偏見で本当はとても良い人だと知って本当に申し訳ない…
— まりも@絵描き野郎 (@marimo_gintama) 2019年10月15日