津久井やまゆり園の殺傷事件からまもなく3年。相模原市内で追悼式がありました。壇上には、亡くなった19人を偲んでやまゆり園の利用者が描いた絵が飾られていました。 pic.twitter.com/KCAVcLnmh3
— 太田 泉生(朝日新聞横須賀支局) (@otaminao) 2019年7月22日
三年前、津久井やまゆり園の凄惨な事件は当時の私には
『遠くで起きた可哀相な事件』
だった。
その一年後、妊娠した娘の重度疾患により突然「生存に膨大な税金を喰う障害児」の母親になり
『私に起こりうる出来事』になった
人生はいとも容易く反転する
やまゆり園は私の事件で貴方の事件。
— きなこ (@3h4m1) 2019年7月26日
人間を「税金」や「生産性」で考える方がどうかしてる。人生は何が起こるか分からない。それを支え合うのが「政治」であり「社会」なんじゃないのですか?
「自己責任」を問うより先に支え合う事が薄れている今の時代が寂しすぎる— ハンドメイド雑貨*アトリエピリカ (@hiyo2002) 2019年7月26日
今年は健常者だった方200人
来年も健常者でいられる人199人:1人障碍者の道へ
次の年も繰り返される
その日にニュースで何気なく聞く
「重傷者(全治1ヶ月以上)」それは
「障害者なる程のケガ
(体は元に戻れない、身体の切断や機能不全など)」
のこと— san_bot@夢、ゆめ (@san_bot6) 2019年7月26日
社会の為に人は産まれてくるのでは無い。
人がより良く生きる為に社会はあるのです。
それを理解出来ない事は、
たとえ健康で障害が無くても、人としての自分も否定する事なると思うのです。— 薫乃 (旧nekononeko) (@nekononeko3) 2019年7月26日
2年前息子が肢体級に入園し、初めて重度の子供達と過ごす中で、急にこの事件を近くに感じました。動く事や表情を変える事が難しい子でも暫く一緒にいるとなんら無資格の私とでも色々通じるものがあります。何も違わない。そこにはママの事が大好きな子供達がいるだけです。
— しゅしゅしゅ (@bxuGvpsxxsXm65b) 2019年7月26日
実際に経験したり、その立場になってみないと実感できない事ってある。
想像力を働かせて相手の立場にたって考えても、実際の経験と同じにはならない。けどそれでも、想像力を働かせる事が出来るのが「人間」という生き物に与えられた強み。
なんだろうと思う。— さくらの街?? (@sakura_oguchi) 2019年7月26日