スイス育ちの私が日本育ちの人との議論で根本的にズレるのは、西洋では「人はみんな違うから確認と質問が不可欠。勝手に思い込むの失礼。」というのを前提に話をするけど、日本人は「普通こうでしょ。みんなこうでしょ。確認するのは信頼してないってこと!」と同じであることを前提に話すところ。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
人なんてそれぞれのドリーミングで生きてるんだし聞いてみないとわからないよ。
クリアに伝えたらいいのに、わかってるだろうと思って言わない。
「そこまで言わないといけないの?」と日本で何回言われたことか。わかんないし、聞きたい。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
伝わらないと相手の理解力の問題だとするのもよくある。
あなたの伝え方かもしれないし両方かもしれない。分かりあおうわかりたいと思えばまだ歩み寄れるし気持ちも変わるけど日本では議論は論破することがゴールだと思い込んでる人も少なくない。
おしゃべりは曖昧でフンワカしてて綿あめみたい。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
ほんと日本でのコミュニケーションは難しい。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
クラスや合宿ではこの「どこまでも言葉にしていく」というローコンテクスト文化の特徴が日本社会に今不足してることなので役に立ってるみたい。
同時に日本的な共感力とかチームワークをもっと自覚して理解していくともう世界で怖いものないんじゃない?と思ったりする。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
アメリカの文化人類学者のホールさんがこんなこと言ってて、日本は最もハイコンテクスト、ドイツ系スイス人は最もローコンテクスト笑。
私を知る同僚がドイツ系スイス人ってあなたのことじゃんと教えてくれて日本で付き合ってきた恋人たちとなぜうまくいかなかったか多くの疑問がクリアになった。 pic.twitter.com/QBNRkkoAuq
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
日本にも言葉が達者な人たちはいるけど個人認識や関係性の築き方がハイコンテクストだから話しても話してもズレていく。
私は言葉が多くて相手を疲れさせるし、しつこいといわれる。
気をつけないと自分はおかしいのではないかという気分になっていく。でも海外に出ると私普通じゃん?となる不思議。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
確かに海外にいると主張し続けないと存在しないことになるから疲れる面もあるけど、日本で育ってない私は日本人の気遣いの力を入れたり抜いたりする感覚的地図みたいなものを持ってないから常に霧の中を手探りで歩いているような気疲れをする。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
日本育ちの能動的な人たちはそれをわかって抑えるところは抑えて力抜くところは抜く。見事だなと思う。
その「いいかげん」な感覚はなん10年日本に住んでもわからない。
でもそういう人たちもやはりハイコンテクストだなと思う。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
海外だと確認すればそれでクリア。プロセスワークのシグナルアウェアネスがあればなおさらよい。
言ってくれないとわからない、というのが基本だから質問もしやすい。日本だとなんか具体的に突っ込んで聞くことにいけないことをするかのような空気がまとう。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
だいぶ長い間、「色々あって」とか「ちょっとね」とかいわれるとすごいインサイダー、アウトサイダー感がでて関係性の間に分厚い壁が生じるように感じてたな。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
西洋のコミュニケーションスタイルは主張することが得意だけど逆に深く耳を傾けて聴くといつのはイマイチな感じ。
ワールドワークみたいなところでさえも声を上げるロールの方がスペースと時間の奪い合いになる。それだけ必死なんだけど。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
その点日本の人は聴くことで学んだり、自分は脇において譲っていける力がある。大きな流れとか曖昧でもそのままにして出来事を信頼する力とかもある。
葛藤解決にはどちらも大事な要素。でも偏ったスキルは抑圧を生む。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
そこはスイスも表面的に収める傾向が強いから日本と似てるところもあるといえばあるんだけど、個人認識が違うので抑圧もエッジもシグナルも異なる。
スイス人とセッションする時と日本の人とする時はアプローチを変えないとプロセスは促進されないし。
— daya (@dayanow) 2018年11月28日
この一連のつぶやきが突然沢山RTされて驚いています。知らない方からの様々なアドバイスやツッコミなどをみて表現の難しさ、人の反応など新しい経験をさせてもらってます。
反応の中に決めつけてるとか括ってるとかマウンティングなどがよくあるので追記しときます。
— daya (@dayanow) 2018年11月30日
私は自分のズレや難しさから自己理解をしていこうと思っていてます。
日本も西洋も(私の場合は主にスイスですが)私の中に両方があるのでどちらかを否定したりジャッジしたりしていません。
それどころかどちらの豊かさや可能性もあると思ってます。
誤解されてるようなので。
— daya (@dayanow) 2018年11月30日
何かを発信したりするとそれこそ確認や意見ではなくサクッと否定的なジャッジフルな反応をされると怖くて意見することが不安になります。
日本でさまざまな葛藤を理解していく際にこれは私だけでなく出てくる体験のようです。
自分の感情や苛立ちを相手にサクッとぶつける。それでいいと思ってる。
— daya (@dayanow) 2018年11月30日
それでも違和感を感じるのであればそれはその人の感じ方で自己理解につなげてもらえれば幸いです。
でも、西洋が優れてると言う社会言説みたいなのは日本にあると思います。誰も言ってないけど多くの人に共有され影響のある価値観や声です。
— daya (@dayanow) 2018年11月30日
日本で正直に可愛くない、好きじゃないと言って場が白けたこと何度もあります。笑顔で言うと雰囲気壊さないということを発見しました。
スイスでは普通に可愛くないと言えばいいけど、きっとどうして?と聞かれますね笑。ちゃんと、こういう理由だから。私はこれが好き、みたいなところまで話します。— daya (@dayanow) 2018年11月29日