さて、こちらは箱根芦の湯。地図の中心にちょっと横長で丸い池がありますね。阿字ヶ池っていうんですけど。
この阿字ヶ池、かつてここ芦の湯にいた
ド イ ツ 海 軍 兵 が 余 り に ヒ マ す ぎ て 作 っ ち ゃ っ た 池 。 pic.twitter.com/Gjqw40nWYE
— 有馬桓次郎 (@aruma_kanjiro) 2018年11月11日
横浜港で起こったドイツ艦爆発事故により、本国へ帰る道が断たれたドイツ艦乗員は松坂屋本店など箱根の旅館に分散収容されていたんだけども。まー、とにかく毎日やることがない。しまいには地元の人らに「何でもいいから仕事くれ」と頼みこむ始末。
— 有馬桓次郎 (@aruma_kanjiro) 2018年11月11日
折からの戦局急迫により全国的に防火体制の見直しが行なわれていた頃のこと。ここ芦の湯近辺には細い渓流はあるけど防火用水としては心許なく、「じゃあドイツの軍人さんらに防火用のちょっとした池を作ってもろたらエエやん」となったわけ。
— 有馬桓次郎 (@aruma_kanjiro) 2018年11月11日
日「この辺掘って小さい池作ってーな(まあ防火用水槽のちょっとデカいくらいな感じで)」
独「よっしゃ任せとけ」……彼らは知らなかった。ドイツ人というものは、ことドボクという言葉を聞くと目の色を変える人々であるということに。
— 有馬桓次郎 (@aruma_kanjiro) 2018年11月11日
……数日後。
「なんかドイツの人ら、めっちゃ詳細な図面引いてるんやけど……」
「なに、この時間単位で区切られた三ヶ月分の工程表は……」
「あのー、ドイツの人ら、小田原の土木事務所に行って自分達でレールやらスコップやら持って来てるんですが……」
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そして始まる(誰も予想していなかった)大工事。ドイツ兵たちは士官の監督のもと一丸となって、トロッコのレールを敷き、ミリ単位の縄張りを巡らし、スコップでひたすら土を掘り抜き、精密で頑丈な護岸を組み上げ……
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……そして、ぴったり三ヵ月後の昭和18年8月。人々の目の前には、誰もが予想し得なかった大きくて深く、完璧に左右対称の池が満々と水をたたえていた。水利に乏しかった芦の湯地区の住民は、彼らの能力を(半ば呆れながら?)褒め称え、また海軍省からも感状と酒一斗が下賜された……というお話。
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