姥捨て山の管理人業を好き好んで行う若者はいない

zenbukokona’s diary 限界集落・病棟より

わたしが衝撃を感じたのは、あまりにも高齢者は家族に不必要とされているという現実をまざまざと見せつけられたこと。
「もうしばらくここで置いてほしい」「ここでずっとみてほしい」「施設に行く
にはお金が無くて・・・」いろんな理由で退院延期、療養先が整わない。病院が赤字になっていき加算がつかなくなってしまうレベルでも居座り続ける、もとい、居座り続けるしかない結果になった患者の山。病院は、現代の姥捨て山もいいところで、家族にすら病院に置いてけぼりにされた哀れな患者をまた一人とみつづけることの空虚さたるや、心が少しずつ腐っていくには十分だった。

国家試験にも頻出する日本人の平均寿命は?という問題。平均寿命は世界から見ても日本は何番目に高い、と誇らしげに報道するニュース。平均寿命が伸びたおかげでいろんな問題がある事も事実で、少なくともわたしは病室でみかけた平均寿命をとうに越えた要介護5の患者をみて、「生きている意味、あるのかな」と思ったのは1回や2回ではない。
ただベッドに寝ているだけ。体の向きさえ自分で変えられなくて、定時に人の手で体位変換をしてもらうだけ。快も不快も表出できず、自分ですらどうにもできない。徐々にできてくる褥瘡、まさに、生き地獄だ。自分がそんな状態になってまで生きていたいか?即答でノー。看護師は徐々に人間であったものの末路の、息絶えるまでの世話も時に行わないといけない。そんなことを、若い20代30代の時間を使って行っていく。
若い時間を、こんなことに使っていられない!と現場を離れていく看護師がいるのも、致し方なくはないだろうか。姥捨て山の管理人業を好き好んで行う若者はいないだろう。