亡くなった祖父は大戦当時NHKの技術者をしていて、玉音放送の収録にも立ち会っている。当時は録音機材はともかく電圧が不安定で、収録中に機材が停止して、祖父は陛下に畏れ多くもリテイクを出したと伝え聞いたことがある。現在残っている玉音放送の音源はテイク2だ。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月15日
僕はこれを話半分で聞いていたのだけれど、祖父が亡くなったのち、遺品から玉音放送のソノシートが出てきて、父がこれを横浜の旧軍無線資料館だか何だかに寄贈した際、「えっ、陛下にリテイクを出した伝説の・・・あの寺田さんの息子さんですか!?」と言われたらしい。・・・マジだったのか。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月15日
・・・人間、どんな形で歴史に名が残るか分かったもんじゃないよね。
「日本のいちばん長い日」にも描かれていない、このちょっとしたエピソードが僕は好きで、歴史に名が残るならこういうくすっとできるやつがいいよなぁと思ったりしている。— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月15日
なんか妙に反響をもらってびっくりしてるし、玉音放送に関して具体的な資料を持って「このような事実はなかったのでは」と指摘してくれる方もいるので追記しておくけれど、思い違いには自信がある! 何らかの証拠を持って反論してくださる方は100%正しい! 僕が間違ってる!
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
なーんかね、このツイートがはちまとかに載ってね、【衝撃】とか「新事実」とかいう煽りが付いてね、そこからいろいろと資料を探して検証してくれる人がいるんだけど、総合するにね・・・、歴史に残ってないらしいな、寺田の名。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
その時代NHKがない、とか、その時代ソノシートがない、とかはね、僕だってついったがそんな正確な話をしなきゃいけない場所だと思ってなかったからあやふやな記憶でしゃべってるし、嘘ってレベルの話でもない枝葉末節だと思うんだけどもね・・・。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
録音に立ち会った技師に寺田の名前がないとなると、そこはもう本格的に嘘なんだけど、祖父の遺品に玉音放送のレコードがあったのは物証だから何らかの形で玉音放送に関わってたのは本当っぽい。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
そこから総合するに、
「玉音放送は録音のトラブルでテイク2だった」
「祖父が録音から放送に関わっていた」
あたりの断片情報を僕が頭の中でストーリー化しちゃったんじゃないのかなぁ。— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
僕のツイート見て、歴史資料や周辺情報を集めて「怪しくないですか?」と教えてくれる人は、すごく助かってる。嘘松とか一言だけ投げてくるのは別な。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
ただ、作り話とはいえ、僕は信じてたわけで・・・、ついったの誤情報修正能力の素晴らしさを知ると同時に、個人の思い込みのロマンを一瞬で押し流される寂しさは、まぁ自業自得とはいえ、しみじみとあるねぇ・・・。
そっかぁ、残ってないのか、名前。
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
待って、待ってくれ、やっぱり残ってるかもしれない。
一度ちゃんと確認しようと父が書き起こしたメモを当たったところ、1946年5月24日に食糧難に関する玉音放送があったという記述があった。祖父はここで陛下にリテイクを出している。
僕の思い違いは敗戦の玉音放送だと思ってたことだ。— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
ぜんっぜん華々しい話じゃないし、いちばん長い日とはまったくなんにも関係なかったけど、ちゃんと伝説にはなってる!
— 寺田海月 (@teradakurage) 2018年8月16日
テイク2: 陛下ご本人は、納得のいかない箇所があったらしく、「もう一回やろうか?」との仰せがあったが、結構でございますということでOKにした、と関連図書で読んだ記憶がありますが、書名忘れました。
— 真似屋南面堂 (@ahnighito) 2018年8月16日