僕の祖母の弟は硫黄島かどこかで死んでいる。兵士らしい紋切り型の手紙に、ふと「内地には食べられる草もたくさんあるのでしょう」の一文があったという。祖母の語りはいつもそこで嗚咽となり、幼児の僕には彼の真意が解らなかった。後年、飢餓を訴えて検閲で黒塗りされるのを避けたのだと気付いた。
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2018年8月15日
「内地には食べられる草もたくさんあるのでしょう」??この渾身の一文に込められた情報量の凄まじきが、まだ幼かった彼の姪が20年後に生む子を、否応なく作家たらしめたと云って、これは過言ではない。
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2018年8月15日
この話は殆ど誰にもしたことがない。語る側も聞く側も楽しくはないうえ、かつて戦地の飢餓の逸話は珍しいものではなかった。しかし今や祖母やその兄弟は勿論のこと、母もその兄弟もみな死んでしまい、もはや記憶しているのは自分だけかもしれないと思った。だから初めて、皆さんにお伝えします。
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2018年8月15日