か、稼ぐねぇ?!
新撰組年収すげぇ!!!!! pic.twitter.com/ND0PSiexYG— 朝葵🐻 (@as_s047) 2018年6月12日
出処は永倉の述懐らしくそれによると平隊士は月10両が固定給として幕府から支給されていて年120両 1両=3.5万で計算すれば確かに420万円。よく言われる100石取りの旗本の場合手取りが年35両なので123万円。武士の過半はこれよりもずっと薄給だったので新選組は比較的裕福だった事になるのだが(続く) https://t.co/Tlto0pgp5m
— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月13日
問題はこの幕府からの固定給が支給された頃=幕臣取り立ての時期である。
これが1867年6月とされるが、年明けに勃発した鳥羽伏見に始まる戊辰戦争で新選組は壊滅、翌々年の函館戦争で最後まで残った土方も戦死・幕府軍は降伏し新選組は完全に消滅した
更にこの時期は周知の通り(続く)— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月13日
周知の通り、開国に伴う金の流出を防ぐ為に幕府が貨幣の質を落とした事や政情不安もあって急激なインフレーションが進行しており、幕末の1両は5000円程度の貨幣価値しかないと考えられていた。尚、知行(所領)を持ち収穫があった武士の場合米価高騰の影響は現金支給の新選組よりもマシと考えられる
— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月13日
実際の所大抵の隊士が画像の様な収入を得られていたのは良くて1年、鳥羽伏見で死んだ者は半年だったと思われる
尤も新選組では固定給の他に大仕事の後には恩賞がしばしば支給され、一説によると末期には軍資金が隊士にばら撒かれたとも言われるが、それでもやはり高給取りとは言い難いのではないか— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月13日
思い出したので補足。幕府から給料が出る前は会津藩お抱えでしたが その頃の平隊士は月3両だったと記憶しています。つまり年36両なので100石取りの旗本=手取り35両とほぼ同額。ただ旗本の場合は軍役などの出費もあるので税を抜いた手取りから更に負担しなくてはならない。
安定してるのは俄然旗本だが— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月13日
×俄然
○断然— たこぱごす (@takopagos) 2018年6月14日