【コメント発表】鈴木敏夫氏が高畑勲さんを追悼「盛大なお別れの会を」https://t.co/wk2xAlblmA
「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思う」と偲び、「宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行う」と伝えた。 pic.twitter.com/KXuNq7nLhU
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2018年4月6日
幼少期を「アルプスの少女ハイジ」で過ごし、多感な時期に「火垂るの墓」で涙を枯らし、社会人になってからは「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」などで新しい何かに挑戦するという姿勢に常に刺激を受けてきました。高畑勲監督、心からご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/vtOdTpvDqj
— 映画情報 オスカーノユクエ (@oscarnoyukue) 2018年4月6日
昨日高畑勲監督が亡くなり、フランスのこのテレビで、フランスでも有名な火垂るの墓を日本時間の今晩、再び放送するそうです。#高畑勲 pic.twitter.com/EXLAP7EhgY
— メロ(フランス記) (@Melo_Narratage) 2018年4月5日
幼少期を「アルプスの少女ハイジ」で過ごし、多感な時期に「火垂るの墓」で涙を枯らし、社会人になってからは「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」などで新しい何かに挑戦するという姿勢に常に刺激を受けてきました。高畑勲監督、心からご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/vtOdTpvDqj
— 映画情報 オスカーノユクエ (@oscarnoyukue) 2018年4月6日
高畑勲監督といえば「じゃりン子チエ」が好きだった。中山千夏が吹き替えているチエちゃんが何と言っても可愛いのだ。テツを演じた西川のりおも好演。この漫画と映画がきっかけで大阪という街が好きになった。特に天王寺界隈が。 pic.twitter.com/ciMMtqBlE5
— kin_me (@kin_me) 2018年4月5日
高畑勲の『赤毛のアン』には私たちが今問題にしている"女の子と社会"というテーマがつまっていた。女の子の容姿をからかう男の子、それをいなすことを女子にだけ強要する社会、それに怒りを見せるアンを彼は魅力的な女の子として40年も前に描いてくれたのだ。本当にありがとう。冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/OWj4iFiQcV
— パプリカ (@papurika_dreams) 2018年4月5日
高畑勲監督。『かぐや姫の物語』がめっちゃ好きで「天人の音楽」なんてベスト級なんだけど、監督ったら本編の作曲を久石譲さんに依頼する前に初音ミク使って自分で先に主題歌とか劇中歌を作っちゃってたっていうエピソードすき。
80歳間近にしてボカロで作曲しちゃう高畑監督は本当に凄い人だった。 pic.twitter.com/mCPMgtcygv— 葦見川和哉 (@kazuya_movie) 2018年4月5日
このエピソード、宮崎駿作品で主題歌まで含めて作曲する久石譲さんにとってはシャレにならない高畑監督のフライングで、久石さんも「通常ならお断りするお仕事」って姿勢だったんだよね。それでも依頼を受けたのは「高畑監督とご一緒できるならぜひ」という理由。それだけ、やっぱり凄い人ということ。
— 葦見川和哉 (@kazuya_movie) 2018年4月5日
かぐや姫の物語は大傑作ですが、かぐや姫の話を高畑監督に聞きにいったときに一番熱心に説明してくれたのが、牛車の乗り方、過去の文献や資料をみてもどこにも書いてないし、だれも研究していない。でも、絵から分かる構造からしてこれしかないんです、というのを力説。学者肌のひとでもありました。
— kawango2525 (@nkawa2525) 2018年4月5日
鈴木敏夫が日曜サンデーで話してた、高畑勲がかぐや姫の制作時に絵描きに激怒してるのを宮崎駿は隠れて聞いていて注文の絵をこっそり描いて、高畑のいないときにその絵描きに「こういう絵を描くんだ!」って宮崎がかぐやのスタッフを指導したっていう宮崎駿の高畑勲への片思いエピソードも好き。
— ピーマン大好きピッコロ大魔王 (@fsNzeczazh8yiBR) 2018年4月5日
高畑監督の作品を観ると、女性が女性であることで受ける抑圧の残酷さを、まっすぐ見つめてくれている人がいる、という救いと、なぜこんなにもくっきりとそれが分かるのだろうという畏怖の念がないまぜになって、いつも不思議な心地になっていました。得難い才能をお持ちだったと思います。
— G.O.D.ファザ子 (@GOD_fatherko) 2018年4月5日
押井守自身が話してたエピソードだったと思うんだけど、高畑勲と対談して、押井が「高畑監督の日常表現に影響を受けた(大意)」と言ったら高畑に「その日常って何ですかね」と返されて戦慄が走ったというエピソードが大好き。
— ピーマン大好きピッコロ大魔王 (@fsNzeczazh8yiBR) 2018年4月5日
ナウシカ制作時にプロデューサーを高畑さんに依頼したら「自分がいかにプロデューサーに向いていないか」を論理的に記した資料を渡されて断られ、宮崎監督は居酒屋で鈴木Pを前に「自分は青春を高畑勲に捧げたのにまだ何も返してもらってない」と涙したという話も好き(その後結局引き受けたけど)
— まぐれもの (@maGuremono) 2018年4月6日
昨年の元旦に高畑勲監督から頂いた年賀状です。
20年来、毎年簡潔かつ独創的な賀状を頂くのが楽しみでした。
これが最後の一枚。
高畑監督のお叱りを受ける覚悟で、ご本人の一字一句をファンのみなさまと共有したいと存じます。 pic.twitter.com/wHhBG4CfwR— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年4月5日
高畑勲監督が亡くなりました。
ここ数年の高畑監督の闘病生活は壮絶であり、いつかこの日が来ることを覚悟しつつも、一日でも長生きして欲しいと心底願っておりました。
余りに多くの思い出が駆け巡り、言葉になりません。
今はただひたすらに感謝しております。
今まで本当にありがとうございました。— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年4月5日
3月6日三鷹の森ジブリ美術館審査会で高畑勲監督とお会いしました。
昨年から更にお痩せになって、でもいつものように舌鋒鋭く万物を斬って語り尽くし、「ありがとう」と笑顔に握手でお別れしました。
お悔やみの言葉を口に出せないのは、語源や歴史を喝破され叱られると分かっているから。だから感謝。— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) 2018年4月5日