摩天楼オペラのベース担当 燿さんが自身の過去を投稿した
上げ直し。
ある意味衝撃的だった初出しネタその①。#ドクターに言われた衝撃的な言葉 pic.twitter.com/WEGLWIHbts— 摩天楼オペラ 燿@2/24大阪 (@opera_yo) 2018年2月19日
20歳の誕生日の話。
当時、19歳からとある特定疾患の病気で長期入院していたのだが、入院していてもどんな治療も効かず、ただただ時間だけが過ぎていく毎日に嫌気がさしてどんどんすさんでいた。
薬の副作用もあったみたいだが、マジですさんでいた。
治療法が確立されていない難病だから色々試して同意書の嵐。
が、何をやっても効かずにただただ薬漬け、体は針の穴だらけ、入院だけ長引いてどうせこのまま死ぬんだろうと思っていた。
長期入院だったから、その間に主治医も何人も変わった。
その中に、一人だけ今でも忘れられないおかしい先生がいた。
インターンが終わって一年目の男性、インターン終わりなのに当時32歳。
一年目にしてはなかなかの年齢だ。
何をしていたのか聞いてみたら、親が医者だったから医学部に入ろうとしたけど全く勉強ができずに大学に落ちて、その後しばらくふらふらしていたと。
が、医者だった親が急に亡くなって、そこで「諦めが早かった。」と猛省して死ぬ気で勉強し直して医学部に入ったと。
親が患者のために尽くす医者だったから自分もそうなりたい、そんなことを熱く語っていた。
当時末期にすさんでいた俺からしたらかなりうざかったが、よく色々と話をしてくれた。
「この人暇なのか?」と思うくらい。
当時の俺は、「さっさと死にたい。」と頻繁に言っていた。どうせ治らない病気でずっと苦しむだけ、仮に生きれたとしてもこんな生活が続くのかと思ったらそんな感じになっていた。
が、そんなことを言う度に「今は辛い。それはわかる。だけど、希望は絶対にある!俺もがんばるから諦めるな!楽しいこともこれから沢山ある!」と、今時ドラマでも言わないようなクサいセリフを真顔でその先生は言ってきた。
正直うざかった。
病院のベッドの上ではやることがマジで無かった。
首から点滴入れてる時なんか、全く動けないから音楽を聴くしかない。
(どうでもいいが、首からの点滴生活が長かったおかげで寝相がめちゃめちゃ良くなった。)
音楽を聴くのは好きだった。
やることが無さすぎて、ずっと洋楽を聴いていた。
聴いてるうちに、なんだかベースが一番好きになった。
「俺だったらこういう曲はもっとこんなベースラインがいいのに!」とか考えるようになった。
ベース弾けないのに。
ある時、主治医に「いつかバンドとかやってみたいなー。」と何気なく言ったら、「絶対「できる!今耐えたらいつか絶対に!」とまた熱く返ってきた。
そんなこんなで、退院する目処は立たずに20歳の誕生日を病院で迎えることが確実になった。
特に年齢的な節目には昔から興味は無かったが、「病院で20歳を迎えるのか。。」と、ちょっとへこんだ。
誕生日の1週間くらい前に、主治医が「今日は何聴いてるの?」と聞いてきた。
洋楽を聴いてると言ったら「今、他に聴きたいのは無いの?」と。
まさか、沢山いる入院患者の中の一人の誕生日プレゼントなんてあるわけない(というか普通はダメ。)とは思ったが、執拗に聞いてくるからその時に頭に浮かんだのを言ってみた。
が、ちょうどマニアックなプログレとかにはまってた時期だったから、その辺のCDショップには置いてないやつばかりが頭に浮かんだ。
「うーん。。覚えられないから紙に書いて!」と主治医は言った。
万が一誕生日プレゼントを考えてくれてるとしても、欲しいCDはどうせ見つからないだろうと思って、4枚分タイトルを紙に書いた。
あわよくば、このどれかがもらえたらラッキーと正直思った。
20歳の誕生日当日、主治医が笑顔で「誕生日おめでとう!」と、ビニール袋を渡してきた。
そのビニール袋の中には、俺が紙に書いた4枚のCDが入っていた。
その②#ドクターに言われた衝撃的な言葉 pic.twitter.com/0rdESP73Pg
— 摩天楼オペラ 燿@2/24大阪 (@opera_yo) 2018年2月19日
・・・・・・泣いた。。
取り寄せでもなかなか見つからないCDだったのに、この頭のおかしい主治医は全部探してプレゼントしてくれた。
インターン上がりでお金もそんなに持ってなかったはずなの」に、ただの患者の一人の俺に。
「20歳だから特別な!内緒だぞ!いつか、元気になってバンドも絶対できるから!」と。
・・・・・・今の今まで内緒にしてたけど、もう時効ってことで。。(笑)
患者にプレゼントなんて一般的にはもちろんやってはいけないことだったんだろうけど、あの探しにくいCDをわざわざ「探してくれた」っていうことが、「この人は自分のことを本気で応援してくれている。」って当時の若かりし俺にはものすごく響いた。
主治医の「俺の病気を治せない悔しさ」も、「俺の人生を応援してくれている気持ち」も、全部伝わった。
その時から、病気のせいでひたすらすさんでたのがどんどん楽になった気がする。
その病院を退院する時も、主治医は最後まで見送ってくれた。
感謝しかなかった。
それから数年間は闘病したが、結果的にほんとに元気になれた。
大学に復学も出来て、就職も考えたがどうせいつ終わるかわからん人生だったらと、遊びでバンドを始めた。
大学は卒業した。
そこから、未だに俺はベースを弾いている。
闘病生活の序盤であの主治医に会えて本当に良かった。
ふとあの主治医が今何してるのかな~と調べてみたら、田舎の病院で病院長になってた。
きっと、あの頃と変わらない熱いまっすぐな先生で、地方医療に携わっているんだと思
う。
いつか、またあの先生に会えたら言いたい。
『必ず元気になる!いつかバンドもできる!』と言ってくれた先生の言葉、ちゃんと「現実になって、俺のベースを聴いてくれるファンの人達が沢山います。」
本当に素晴らしい出会いでした。