比較が分かりやすく、Twitterで3万いいねされています。一方、言葉の定義について多くの批判も。
討論ってのは声の大きい人が有利なものではないですよ。世の中的にはそういう捉え方をされますけど。テレビ番組なんかで討論って言葉を雑に使ってグチャグチャ下らない言い合いするから多くの人が勘違いしたんでしょうな。
— チェヨンペン@TWICE LOVE!!! (@Hulu17847384) 2017年12月3日
なにからなにまで間違っていて酷い。日本人がろくなディスカッションができないのも、こういう寝ぼけた誤解を引きずったままきちんと論じるトレーニングを受けないからなんだろうな。まったくシロウトのたわごとは困るぜと思っていたらまさかこんなの大学で教えてるの?高等教育の場で?最悪だ。 https://t.co/NZ0zWz9vEB
— 瀬川深 Shin Segawa (@segawashin) 2017年12月4日
これは酷い歪曲ですよ。「討論」という言葉の意味そのものを都合よく捻じ曲げてしまっている。辞書で調べてみればここにある討論の定義そのものが恣意的に歪められたものである事がわかるはずです。こういう歪曲こそが、ここに定義された「エセ討論」と同質のものでしょう。https://t.co/KW5QU7Hv07
— タクラミックス (@takuramix) 2017年12月3日
これは酷い「ニセ科学」だと思う。左側には肯定的な要素が一つもない。一方、右側は全部肯定的だ。つまりこれは左側は「ダメな議論・討論・対話」であって、右側が「うまく進む議論・討論・対話」でしかない。これは、議論や対話の評価という全く別軸の価値を、「用語の定義」へと押し付けているわけ。 https://t.co/T7UOKA0c0t
— 未識魚 / 中川譲・C93日-東ヤ37a (@mishiki) 2017年12月4日
これ、本来の討論ではなくて、日本人の誤った討論観でしょ・・・ https://t.co/J9ffcuT9R1
— mhl_bluewind@カリフォルニア (@mhl_bluewind) 2017年12月3日
この論法,肯定したいものと否定したいものをまず決めておいて,一般的によさげなものは肯定したい側へ,悪いとされるものを否定したい側に帰属させるという,いかにもな詭弁である。「討論」はダメだと思い込んでいる出発点でアウトだ。この手の「わかりやすい教訓」は有害と思う。 https://t.co/BYzxYW5XXQ
— こなみひでお (@konamih) 2017年12月4日
つか、「声の大きい人 有利」なのが討論ってのがそもそも間違ってるよね。この図の「対話」なのがすべて本来の討論の属性じゃん。やっぱ小中学校で「討論」の授業をすべきなのではないか https://t.co/TbDE1XX98U
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2017年12月4日