あ、『はいからさんが通る』面白かったです。あれ大正時代の平塚らいてふに傾倒するフェミニスト女学生と華族将校のロマンスを描いているんですが、面白いのは結婚してから(正確には許嫁と同居してから)「恋愛」が始まるんですよね。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
女性学の友人が言ってたのを思い出した。男女平等な感情による求め合いであるロマンス、つまり「恋愛」が日本に移入され始めた当初は、いまのような婚前の恋愛というより親の決めた相手と結婚をしてのち、その相手と恋愛を始める、、、という形であった時期があると。>はいからさんが通る
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
物語の骨子からして、女性学というか「新しい女たち」をめぐる考証がちゃんとされているんだなあと思った。「はいからさんが通る」と同じテーマで、もう少しシリアスに大正から戦後までの「新しい女」たちの生き様を描いた『陽の末裔』も読み直したくなったです。 pic.twitter.com/jkHJMvgWHx
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
『陽の末裔』といえば、そのスピンオフである『懐古的洋食事情』のシリーズもとても面白いですよ。いまや我々の生活でおなじみになったカレーライスやトンカツなどの洋食がテーマ。それぞれの洋食料理が、いつくらいに日本に入ってきて、どのように普及していったかを描くシリーズ。 pic.twitter.com/lf0erbt5Uc
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
当時の女学校は在学中に縁談が決まったら順番に退学していくんですよね。寿退社ならぬ寿退学。卒業が近づくにつれてひとりまたひとりと友達の姿が消え、次第に空席がちになる教室。当時の少女たちの青春というのはそのような光景であり、だからこそ「いのち短し恋せよ乙女」というあの詩が流行るんです
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
だから女学生を描くというのはその限られた時間のじりじりすような儚さを描くということになるわけですが。でも当時の資料にあたるとそこから読み取れる気配は儚さというほど淡くてのんきなものではなくて、もっと濃密でもっと切羽詰まってて、やっぱりそれは「短さ」という言葉になるんですよね。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
女学生というと淡く儚いロマンチシズムというイメージになりがちなんですが、実際の女学生たちには儚さに陶酔している暇なんてないわけです。「いのち短し恋せよ乙女」というフレーズの威勢の良さというか疾走感はまさに、その短すぎる青春への叱咤ですよね。短距離走のピストルみたい。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
女学生というと今でも大学の卒業式などに名残のある、振袖に袴、ブーツがトレードマークですが。あれは「おしとやかさ」の象徴ではありません。袴もブーツも、もともとは男装。より疾く走るために彼女たちが選んだ服装なんですよね。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日
だから「走れ走れ」という気持ちになる女学生ものはよいですね。誰もが知る名作にこんなこと言うのもおこがましいですが『はいからさんが通る』面白かったですよ。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年11月27日