世界で初めてウナギの産卵場所を発見した東大大気海洋研究所の塚本勝巳教授

最近では、大学の研究者ですら、研究の意義や社会貢献を問われます。

ウナギの産卵場調査も例外ではありません。

新しい発見がある度に、メディアがやってきて「この発見の意義はどういったものでしょうか?」と問いかけます。

まずはにこにこと笑いながら、「ウナギの産卵生態の解明に向けて大きな一歩となりました」と返します。

すると一部のメディアは、少しイラッとして、さらに追いうちをかけてきます。

「産卵生態が解明されると、どうなります?」

今度は少しばかり胸を張り、「古代ギリシャの時代から2400年も続いてきた謎が、ついに解き明かされることになります」と答えます。

それでも納得できないごく一部のメディアは、ついに堪忍袋の緒が切れて、伝家の宝刀を抜きます。

「これでウナギは安くなるんですかっ?」

こうなっては仕方ありません。

「この発見で、すぐに蒲焼きが安くなるわけんが、いつか安くなる日がくるのではないかと期待しています」的な答えをするしかありません。

「それはそうなんだけど、もっと生物学的な面白さや、海洋学的な意味を聞いて欲しいなあ」と心の中でつぶやきながら……。

メディアと研究者の価値観の間にはいつもかなり大きなギャップがあります。

メディアを社会の代表とすれば、ズレているのは研究者ということになります。

本当のところ、多くの研究者は「何の役に立つか」を考えて研究をしているわけではありません。

最初は、目の前にある不思議な現象に「あれ、なぜだろう」「どんな仕組みになっているのかな」と感じ、やがて気になって仕方なくなり、研究を始めるのです。

そして、疑問が解けるまで、研究者をつき動かしているのは「知りたくてたまらない」という欲求です。

僧院の裏庭で趣味的に栽培されたエンドウ豆の観察から遺伝学が始まり、錬金術師の暗い欲望から化学の下地が醸成されたことを思い出してください。

研究はそもそも個人的なものであり、あえていうならば、社会の利害関係から切り離された「趣味」のようなものです。

役に立たなくてもいいし、立つことがあってもいい。

しかし、最近の研究は、だんだんと社会貢献を強く期待されるようになりました。

かなり窮屈な雰囲気の中で研究しなくてはならなくなってきました。

宇宙やエネルギー、ゲノム、地球環境、食糧問題など、社会の強い要請で、大きな予算がつぎ込まれているビッグサイエンスがあります。

ここでは、個々の研究者の発意や興味とはあまり関係なく、研究テーマが上意下達のミッションとして降ってきます。

トップに立つ人は、大きな予算をもらって、自分のやりたい研究を思う存分できるのですから、これは理想的です。

また、幸運にも自分のアイデアが取り上げられ、面白い成果がどんどん得られている人も幸せです。

一方、こうした大きなプロジェクトには、多くの若い研究者がポスドク(博士号をもった契約研究員)として研究に挑わっています。

中には生活のため、あまり興味のない研究をせざるをえない人も大勢いることでしょう。

そもそも研究が趣味のようなものであるとすれば、いかに才能あふれる研究者であっても、これでは到底100%の力を発揮できるものではありません。