本日ハロウィン。渋谷は凄いことになっているんでしょうか?実は、こんなの江戸時代からあった。天保十年-1840年、京都で大流行した仮装踊りを表した『蝶々踊図屏風』にも、タコやすっぽん、なまずのコスプレをして踊る人達が描かれています。今の渋谷のスクランブル交差点と変わらんがな。 pic.twitter.com/FlXM8s1fhH
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
天保12年頃、歌川広重による「東都名所 高輪二十六夜待遊興之図」にも品川辺りの祭りでタコのコスプレしている人がいます。なんで江戸時代はタコが人気なんですかね?二十六夜待とは旧暦1月と7月の26日に行われたお月見のこと。 pic.twitter.com/LoEgEU9ElL
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
吉原でも「吉原俄」という仮装踊りイベントが毎年8月にあって、いつも主役の花魁ではなく、普段郭(くるわ)の裏方をしていたかむろや若い衆などが主役となった即興寸劇もあった。明和(1764~1772)~天明(1781~1789)頃ず盛んだったとか。コスプレは日本人のソウルイベントかも。
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
皆さん江戸時代というとテレビの時代劇のイメージしかないかもしれませんが、武家なんて人口の7%程度。メインの町人は生活の不自由はあったかもしれませんが今より幸せに人生を楽しんでいたんじゃないかと思う。そんな対談をしています。https://t.co/sEBAZS22u3
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
江戸時代にもアイドル商法があった。茶屋には看板娘がいてそれが評判になると行列ができたほど。まさに「会いに行けるアイドル」。有名なのは江戸の谷中(やなか)の笠森稲荷の前にあった鍵屋のお仙。彼女の美人画を浮世絵師の鈴木春信が描いています。美人画って今で言うアイドル写真集みたいなもの。 pic.twitter.com/jQU6l08GTm
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
彼女から2、3杯のお茶を入れてもらい、ちょっと言葉をかわして四十文(2千円)前後というから決して安くない。あまりにも評判になるもんだから、鍵屋も美人画の他、手ぬぐいや絵草紙、すごろくといった所謂「お仙グッズ」も販売。これがまた売れたという。まさにアイドル握手会の物販みたいなもん。
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
しかし、いつの世も「金だけ出すハメになる非モテ男」はいるもので、最後お仙は、この鍵屋を運営する幕府御庭番である倉地家というエリート侍の嫁になってしまうわけです。当時は情報網がなかっため、お仙は突然行方不明となったようになり、江戸のオタクどもは騒然となったようです。今と変わらないな
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
ちなみに、笠森お仙、柳家お藤、蔦屋およしという3人の看板娘が明和の三美人と言われていました。そうなると誰が一番かという「美人くらべ」も勃発。歴史学者の磯田道史氏曰く「こうした現象は江戸にとどまらず、全国へ波及し、特に名古屋で盛り上がった」そうです。まさにAKB総選挙のようです。
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年11月1日