関係ないけど、ルパン三世の五右衛門が刀ではなく非武士階級が使用した鍔がない白鞘の長ドスを持っているのは、彼は侍ではなく俠客だからで「侍ではないことの誇り」みたいなプライドもあるんだけど、この辺の感じ、だんだん伝わりにくくなってるだろうなあと、こないだのルパン映画見てて思った。 pic.twitter.com/6eCT7hwLBc
— ジロウ (@jiro6663) September 12, 2017
時代劇のなかでも武士・侍ではなく?客や町人が主人公となるような物語がまっさきに廃れたから、支配者層としてふんぞり返る武士への反感や「武士ではないことの誇り」みたいな感覚がまっさきに忘却されてるよね。僕自身も『幕末太陽傳』で初めてなるほどと思ったようなもんだし。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日
?客という存在を知らない世代が五右衛門を「サムライ」として見てしまうのは、ヤクザと警察官を混同するようなもので、両方とも暴力装置といえば暴力装置なんだけど、そういう意味では正反対。何十年も続いたシリーズだからこその困りごとだねえ。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日
鍔のついた立派な武士の刀は権威や伝統の証なんだけど、五右衛門が抱いている質素な白鞘の長ドスが象徴するのは明日も定かではない流れ者たちの孤独だったの。
ね、こっちの方がずっとルパン三世の世界観でしょう? pic.twitter.com/DjIt1wUhv2
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日
五右衛門の?客というやつも、今となってはまったく見なくなってしまいましたが、昔はとてもメジャーなヒーロー像だったんですよね。清水次郎長とか国定忠治とか。侍/武士は支配階級であり体制側の人間だから、当時の庶民からは煙たがられていて。そうではない反体制ヒーローとしての定番だったの。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日
だからモンキーパンチが最初にルパン三世率いる悪漢ヒーローチームを作るときに?客(五右衛門は盗賊の子孫)を入れたのは自然な話なんですが、シリーズが50年続くうちに日本人が?客というヒーロー像を忘れてしまった。刀を使うヒーロー=サムライ(武士)と思うようになってしまったのかなと。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日
この?客というヒーロー像は、ロストテクノロジーならぬロストファンタジーみたいなところありますよね。?客というファンタジーは失われたけど、五右衛門はサムライとして読み替えられることで生き残ったのかなと思います。
— ジロウ (@jiro6663) 2017年9月12日