富岡製糸場を見学したぞ〜〜。富岡の女工さんの労働環境が
「労働時間7.5時間」
「日曜祝日休み」
「夏・冬休みそれぞれ10日間取得可能」
「衣食住タダ」
「医療費タダ」
「身分差に拠らない能力給」
「卒業後は指導官として各地に就職」と聞いて現代の方が女工哀史してるとおもた。 pic.twitter.com/2ceFmbp12W
— さな@さなぁ〜ぶ・風 (@SanaWind_26) 2017年6月25日
工場での労務管理方法なんて当時誰もわからなかったので、お雇い外国人の指示で仏式に則ったらしい。じゃあなぜ「女工哀史」「あゝ野麦峠」みたいなのが出てきたかというと、富岡製糸場を皮切りに各地で製糸場ができまくり、そこは労務管理がいい加減だったから……というのが本当のところみたいです。
— さな@さなぁ?ぶ・風 (@SanaWind_26) 2017年6月25日
ちなみに富岡製糸場の女工さんのほとんどが士族のお嬢様方だそうで、労働環境がそこそこいいぶん規律が厳しかったらしい。部屋で寝ころんでいただけで「だらしがない!」とメチャクチャ怒られた、という日記が残ってるらしい。
— さな@さなぁ?ぶ・風 (@SanaWind_26) 2017年6月25日
製糸場で働くと白米が食べられると言われていた時代。実際農家の子女が製糸場で働いていた時の回顧録として実家より食事情が良かったし楽しかったいう記事を雑誌で読んだことがある。
— The Eyes of Texas (@bonja1) 2017年6月25日
確か富岡製糸場は工場の手本として優遇は良かったみたいです。重労働な所がほとんどだったらしいです。
— ひらさん (@G_Hiragen) 2017年6月25日
FF外から失礼
浜島書店 新詳日本史P235にはこんな表がありました
おそらく富岡製糸場は官営模範工場なので士族のお嬢さんたちがいるのだと思いますが、そのへんの紡績工場では貧しい農村から出稼ぎに来た女性たちが働いていました。
それだけ農村の生活が厳しかった、とも見れますね pic.twitter.com/HVGWXJhwP6— Intel_life (@Intel_Broadwell) 2017年6月25日
上岡に集められたのは 富国強兵の時代に 各地の工場で指導する立場に立つ お嬢さんたちだから 扱いも丁寧ですわ
— dempax2016 (@dempax2016x) 2017年6月25日