女性の市場価値、という言葉を使った雑誌が批判されているようなので、日本の男性が車扱いされていると外国人が突っ込んだワンシーンもどうぞ。お互い、モノ扱いはやめたい。男も女もアイドルもミッキーの中身も、人間。 pic.twitter.com/pzxbEHCXDu
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2017年6月19日
市場価値って言葉、男性も実際年収で選ばれる現実があるし、長年付き合った男性とは年収低いから別れて今婚活中って女性が先日のNHKの番組で紹介されてたりするし、昔は結婚して子供を作らないと経済的にやっていけなかったわけだし、言葉にはしなくても、端的には市場価値とか経済価値のような考え
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2017年6月19日
を軸にしてる部分は完全には否定しづらいのかな。結婚のためにわざと妊娠するとか、老後が寂しいだろうから子供を作るとか、言語化しなくても、人は周囲の自然や動物や異性や子供を利用することで自分の経済的、精神的充足を図っている部分はある。それをポリコレ表現するか、日本死ね、的な配慮の無い
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2017年6月19日
表現で言語化しているかの、表面的な違いがあるだけかもしれない。善を偽善と呼ぶのはある意味正しい。善は全て結果的に自分のためでもあるから。人はワガママが基本。アイドルの結婚問題も、ワガママのぶつけ合いだった。あれが悲しいのは自分だけの善のぶつけ合いだから。でも、win-winの発想
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2017年6月19日
つまり、自分のための善が相手のためにもなる、自分のためのワガママが人のためにもなるなら、偽善でもワガママでもいい。自分のための結婚、自分のための子供でも、それが結果的に結婚相手や子供のためにもなるなら、事実としては利用しあう関係でも、素晴らしい関係だと捉えれば、それでいいと思う。
— 鈴木祐介 (@7_color_world) 2017年6月19日