ドイツでは「たった一人でも反対できる人間を育てる教育」を目指しているというのを知ってから、このフレーズが私の頭の中からずっと離れない。
— Toshiko ISE?? (@toshikoise) 2017年6月12日
反対を叫ぶだけでなく、対案を示してその合理性を説明できる人間を目指したい。なれなくても、1ミクロンでも近づきたい。
— masayoshi kaneko (@suenaga1116) 2017年6月14日
そうだよなぁ。日本だと一人でも多く集団に馴染めるための教育、だもんな?。
— halutubby@通常運転中 (@halutubby) 2017年6月14日
@masamuneou いいですね。やはりヒトラーナチス全体主義的経験の反省から来ているのでしょう。日本もヒトラーのような個性はいなくても同じ全体主義に絡め取られたのに、総括ができていないから、こういう教育は弱いですよね。
— 杉浦迪也(即廃!核発電、核兵器全廃!) (@michiya1947) 2017年6月14日
日本人が、他民族に比べて道徳的に劣後しているとは思いません。しかしながら、リトアニア駐在領事時代の杉原の命のビザは領事館という他の日本人同僚上司の空気や忖度に流されない環境にあったことが、杉原の道徳規範と同じくらいあの立派な行動に踏み切らせた要因のひとつと思います。逆に言えば、
— arkanalー (@arkanal1) 2017年6月14日
あの、スギハラですら周りをおもんばかる環境のもとではあのような振る舞いができたかは疑問が残る。日本では、ベトナム戦争時代のヒュー・トンプソンや仲間が、戦友のカーリー小隊がミライ村で残虐行為に及んでいた時に、空気も忖度も目を瞑ることもせず、銃を向けて阻止するような善行を知りません。
— arkanalー (@arkanal1) 2017年6月14日
日本でも「たった一人でも反対」はできるし、できない人は臆病者に過ぎません。何故なら一人で反対すると白い目で見られ、色々不利益を被るからです。
つまりドイツの教育とは、恐れず反対意見を述べる個人的教育にとどまらず、そうした少数意見でも耳を傾け尊重する社会的教育でもあるのでしょう。— ハロウィンの怪人 (@Phantom_of_USJ) 2017年6月14日
日本だと、「みんなでやろうとしているのに、なんで一人だけ反対するの?」と言われることがある。 https://t.co/7tn1z4zuLI
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) 2017年6月14日
小学校入学の時に次女の担任からの一言が忘れられない。『小学校ははみ出る子供を四角い箱にきっちりおさめる場所ですから、このままでは困ります。』娘を生きにくい所に押し込めてしまって・・・・・ https://t.co/Aixd3AxDLy
— ママン (@ristutenten) 2017年6月14日