私は台湾の“ゼロ番地”という地区で生まれ、バラック小屋で育った。
まるで洞窟みたいなところだった。
後で知ったことだが、そこは旧日本軍が残していった防空壕の中だったらしい。
生まれたときから父親はおらず、生活はまさにどん底の状態だった。
拾ったゴミを売って生計を立てる人が多いこの地区で、裸で水浴びし、近所をうろつく野良犬と遊び、水や電気を盗む毎日を過ごしていた。
いつも腹が減っていて、ときどき目の前を走るネズミを捕って食べようと思ったこともある。
戦時中ならともかく、これが日本経済が急成長をとげていた1980年代のことだから、意外に思う人も多いかもしれない。
その頃の思い出はほとんど残っていない。
いまだに覚えているのは、母親が「お金持ちも貧乏人も、みんな、同じご飯を食べている。与えられた時間もまったく同じ。おまえには膨大な時間が残されている。だから、できない理由を探す方が難しい」とよく言っていたことだけだ。
日本にきたのは6歳のとき、母親が日本人と再婚したのがきっかけだ。
貧しい生活から脱した私は、豊かな日本での生活に胸を躍らせた。
しかし、待ち受けていたのはひどい差別だった。
言葉づかいがおかしいといっては同級生に笑われ、台湾人だというだけでいきなり殴られる。
そんなことが何年にも渡って繰り返された。
とにかく面倒だった。
ときには腕力でやり返すこともあったが、かえって差別を増長させるだけだった。
この国で私はマイノリティで、その事実は死ぬまで変わらない。
そして将来、みんなと同じように大人になっても自分の過去が障害になるだろう。
かといって周囲を変えようと争っても空しい。
いっそ自分自身が変わってしまった方がよっぽど楽だ。
それもハンパな変わり方じゃない。
誰からも意見されないような、圧倒的なチカラを手に入れたい。
自分がもっと強くなれば、きっと自由になれる。
純粋にやりたいことを極められる。
だからなんでもいいからとにかく世界一になってやる。
10代の私は貧困と差別という特殊な環境の中でそう決意した。
でも、一体なんの世界一になるべきだろう?
なんのために生きるべきだろう?
そんなふうに答えのない答えを探した時期もあったが、結論としてはなんでもよかった。
私はとにかく血湧き肉躍るような世界に飛び込みたかった。
http://ameblo.jp/hiroo117/より
直江文忠氏は本書の中でこう語る。
《このまま他人まかせの人生を生きるか。それともいまから自分の人生を生きるか》
「みんな、死ぬ。
生きているということは、確実に死に向かっている。
もしかしたら明日、死ぬかもしれない。
しかし、そうやって死を受け入れることで、もっと強くなろう、いまを大事にしようという生命力があふれてこないか?
《無駄に生きるな熱く死ね》
誰かによって作られた目標に翻弄されることなく、自分の本心から生まれた目標を大切に。
そしてやると決めたからには、腹をくくる。
すべて自分のせいだ。
パートナーが悪かった。
時間が足りない。
もっとお金さえあれば。
いいアイデアが浮かばない。
意見を聞き入れてくれない。
後でそういう言い訳をしないように、決断するときは『もし途中でやめたら自分の片腕を差し出す』くらいの覚悟があるかどうかを確かめる。
それでも本当にやり通せるかどうか、自分の心とゆっくり向き合いたい。
《自分のことは、自分で決める。自分との約束を、自分から裏切らない。》
これが自分の人生を楽しみ尽くすための最善の方法だ」
「無駄に生きるな熱く死ね」
老いも若きも、来(き)し方という過去はふりかえらず…
明日死ぬと思ったら、一瞬も無駄にはできない。
“今、ここ”を、熱く熱く生きたい。