なぜ「大切なことは何か?」を最初に問うべきなのか


 人と人との対話を考えれば、そのパターンは無限です。
 これは、自分自身との対話においても変わりません。
「聞き手である自分」に投げかける質問は、それこそ無限にありますが、どうせなら「いい質問」を投げかけるほうが建設的であることは、言うまでもありませんね。
 自分に投げかけるべきいい質問とは、次の5つに集約できます。

質問➀「自分が得たい結果は何だろう?」・・・問題を「自分事」として捉える質問
質問➁「どうして、自分はそれを得たいのだろう?」・・・自分の目的を明確にする質問
質問➂「どうしたら、それを実現できるのだろう?」・・・可能性に目を向ける質問
質問➃「これは、自分の将来にとってどんな意味があるのだろう?」・・・いい意味づけをする質問
質問➄「いま、自分にすべきことは何だろう?」・・・自分を動かす質問

 このように、私たちが問題に直面したとき、真っ先に自分に投げかけるべき質問は、「一体どうすればいいんだろう?」というものではありません。

「自分が得たい結果は何だろう?」という質問①です。
 これは、言いかえるなら、
「自分にとって大切なことは何だろう?」という質問です。

 この「自分が得たい結果は何だろう?」という質問がプライマリー・クエスチョン(最初の質問)として設定されている人であれば、何があってもつねに望ましい答えを導きだしていくことができます。
 それは、一体どうしてでしょうか?
 病気になった私の場合で考えてみましょう。
 このときの「得たい結果」とは「生きること」ですから、その問いは簡単なように見えます。
 しかし、もっとその「生きること」を突き詰めていったらどうなるでしょう。

「生きさえすれば、それでいいのだろうか?」
「どういう人生を送るために生きたいのか?」

 問題を掘り下げていけば、単純に「病気を克服すればいい」ということでなく、病気になろうがなるまいが、自分自身が心から望んでいる生き方が明確になっていきます。
 私は、そのとき妻と子どもや、今まで支えてきてくれた仲間、恩師の顔を思い浮かべ、仕事を通して世の中に貢献していく生き方を望みました。
 それに気づけたからこそ、「ガンは自分にとっての贈り物だった」と思うことができるようになったのです。
 人間は生物学的な特徴から、何か問題があれば、真っ先に不安や恐怖を想像し、それにとらわれてしまいがちです。
 だからこそ、ネガティブなプライマリー・クエスチョンや、それに基づく自問自答が生まれやすいのですが、多くの人は総じて心配事や悩み事に、エネルギーをとられ過ぎています。
 脳科学的に見れば、普段人間が思考に使っている脳の領域は、さほど大きいものではありません。
 確かに、脳全体の容量は大きいのですが、呼吸や消化などの生命活動に使用している面もあるし、脳というのは、とても大きなエネルギーを消費する器官ですから、いざというとき以外は、フル稼働しないと言われています。
 つまり、人間は脳の限られた部分を「ワーキングメモリ(作業記憶)」として使用し、その部分だけで物事を判断したり、考えをめぐらしたりしているのです。たとえていえば、パソコンのCPUみたいなものと考えれば、いいでしょう。
 この脳内の「ワーキングメモリ」を高速で動かせる人が、俗に言う”頭の回転が速い人”です。
 ただ、頭の回転が速いのは、生まれ持っての能力で決まるわけではありません。どんなに優秀な人でも、考えることが多すぎたり、心配事があったりすると、そこで容量を食われてしまいます。
 結果、他のことを考える際の処理速度は、遅くなるのです。
 たとえば、パートナーと朝にケンカをしてしまい、1日中「あんなこと言わなきゃよかったなあ」なんて後悔している人がいたとします。
 この人は、後悔とクヨクヨ、これからの「パートナーとの関係を心配する思いで、大半の「ワーキングメモリ」を使用してしまいます。そんなことでは、仕事がはかどるわけがないし、いいアイデアが浮かぶわけもありませんね。
 つまり「頭がいい人」というのは、単に頭の回転が速い人というわけではなく、余計なことを頭から追い出し、「一番考えるべき大事なこと」に集中できて、効率的に頭を働かせられる人なのです。
 すぐに問題の解決策を見出し、目標を達成したり、自分が幸福になるための道を真っ直ぐ歩んでいけるのも、同じく「一番考えるべき大事なこと」に集中できる人になります。
 ですから、
「自分が得たい結果は何だろう?」
「自分にとって大切なことは何だろう?」
という質問は、自分を考えるべき問題に集中させ、いい自問自答を導くために、いちばん有効な「プライマリー・クエスチョン」となるのです。