願いは、叶うためにある

私には、相談者の「願い」の先にある「未来」が、その人の背後に1メートル四方くらいの大きさで、まるで映画を観るような感じで見えます

もちろん何年も先の未来になると、かなりぼんやりしていることもあります

それでも、あらゆる願いにつながった未来が、私の目には見えてしまうのです

たまに一枚の写真やスクリーンに映る動画のように、ハッキリした未来が一つだけ見えることもあります

それは、その人が現在、たった一つの願望を強く思っているときです

また、その人と面談し、自分が思い描いていることを話してもらううちに、未来の姿が大きくなっていったり、鮮明になっていったりすることもあります

今はまだ「願い」でも、私の目には、まるで「本当に起こっていること」のように見えるのです

そんなとき、私は「今」と「望む未来」がつながるようなアドバイスをしていきます

「自分にはムリだから」とあきらめることが習慣になっている人を見ると、子どもの頃から、思い描いていた夢を否定されてきたケースが多いようです

かつて「F1レーサーになる」という未来が出ていた子どもに会ったことがあります

むろん「F1レーサー」というのは、たくさんある可能性の中の一つ

いくつもに分かれた未来の映像の先には、スポーツカーに乗っている姿から自動車関連の仕事に就いている姿まで、いくつもの可能性が見えました

もっとも、遠い将来のことですから、見えるイメージは必ずしも明瞭なものではありません

ところがあるとき、いくつも枝分かれして見えていたクルマに関する夢が、まったく見えなくなってしまったのです

「いったいどうしたの?」そう聞くと、両親から「そんな夢、実現できる人なんて、ほとんどいないんだよ」と否定されてしまったとのこと

それで「ムリだと思う…」と信じ込んだ結果、夢が見えなくなってしまったのですね

少しかわいそうになりましたから、私もご両親に言いました

「本人が夢を思い描いているのだから、ムリに否定しなくても、いいのではないですか?」
「狭き門のレーサーになれる可能性は低くても、今の夢は、自動車の開発者などにつながることもありますよ。自動車会社で働くことになれば、相当のエリートになるかもしれませんよ」

すると両親も気にされて、インターネットで「F1レーサーになるためには」と検索して調べてみました

その上で、息子さんに、「ねえねえ、こんな道を目指せば、本当にレーサーになれるかもしれないよ!」と言葉をかけてあげたのです

そのあとで彼に会うと、また一気に未来のイメージが広がっていました

しかも「レーサーになる未来」ばかりではありません

車以外のことも含めて、近々起こることから、遠い未来のことまで、一気にたくさんの未来が出てくるようになったのです

つまり「夢を認められて育つ」か、それとも「夢を否定されて育つか」で、「可能性を追求する人生か」「否定してしまう人生か」に、大きく分かれてしまうわけです

私の立場からすれば、お子さんの夢を否定することは、絶対にやってはいけないことだと断言できます

私たちが望む願いには、「不可能なこと」は、ほとんどありません

こう書くと、「じゃあ、今からプロ野球選手になりたいと願ったら実現するのか?」なんて、揚げ足取りのようなことを言う人もいます

でも、「本当に、そんなこと叶えたいと願っているの?」と聞くと、「どうかな……?」と黙ってしまうはずです

つまり、そもそも絶対に叶わないようなことを、私たちは心から願いなどしないわけです

逆に言うと、私たちが願うことというのは、実現する可能性を心の片隅で見積もっている、ということです

だからこそ心の中を掘り返し、「願っていること」をピックアップしていくことが大切なのです

それはすなわち「自分の可能性を追求すること」でもあります

たとえば「F1レーサーになりたい」と言っていた子どもが、成長の過程でいつしか、その夢が実現することを願わなくなるかもしれません

でも、その代わり「いつかフェラーリを所有したい」「サーキットで運転をしてみたい」といった夢を持ち続けたら、どうなるか?

これは「収入次第で可能なこと」ですから、仕事における成功を決める要素にもなってきます

願い事を放棄していくと、人生は尻すぼみになっていきます

しかし「願い事」をたくさん頭にインプットしておけば、何歳になっても私たちは素晴らしい未来を創造できるのです

そのことを忘れてはいけません