最近のたまごっちは「死なない設定」になっているとテレビで言ってた。あと、お世話ができないときのために「ベビーシッターモード」もあると言ってた。初期たまごっちが一番伝えたかったと思われる「命の概念」が全部ふっとんでた。
— カツセマサヒコ (@katsuse_m) 2016年5月29日
@katsuse_m 学校から帰って、この画面見て衝撃受けることないんですね(;▽;) pic.twitter.com/YVtUPYlev0
— あいのん (@o920m11) 2016年5月29日
ネットの反応
・死ぬんじゃなくて家出するんです
・『ペットの世話』から『友達との交流』って感じになってるんですかね…死ぬ設定だった頃も頃で「リセット出来る命になんて」と言われたりしてましたが…
・どこかで永遠と育て続けられて一向に成長しないたまごっちと、働かないで家にずっといて育てられ続ける人間と何が違うんでしょうね…
・まさか、死んだら教育上良くないとかクレームをつけた保護者がいたりして…
・流行った物が新しい物を出してくうちに最初の大切なものを失うのはよくある事ですが、悲しいものですな
・なんかどんどん過保護になっていく気が…
・それって、運動会の徒競走でビリが出ないようにみんなで手を繋いでゴール、に近いありがた迷惑の発想ですね!
・都合で子どもの面倒を見られない(学校行ってる間とか)は子どもの面倒をシッターに見てもらうことは、命を大切にしてるからでは。現実でも、保育園や学童保育に預けるやん?
・「命の概念」を見た子供たちが大人になって、命を改造したと考えるとすごい。
・これは本当に謎だよなぁ。「対象者の低年齢化に伴い」って当時も小学校上がる前の人が普通にやってたし。。イージーモードで育てられるペットなんてなんのためにたまごっちやってるんだか。。。
・ゲームボーイのたまごっちで初めて育ててたたまごっちが死んで号泣したのを鮮明に覚えています。
・学校に瀕死のたまごっち持ってきてて授業中に御臨終が鳴り先生に怒られ理由を述べたらクラス全員で黙祷したっていう話を思い出す。機能は変わっていってしまうんだなー…
・死ぬ寸前ボタン押したら生き返るとか、先祖が助けに来てくれる設定とかあった
・命について考える機会がますます減るな。
・私は今でもデジモンが好きだけど、同時期に放送されていたポケモンと違い、子供たちがデジモンの死について悩んでる姿を見て、子供ながらに色々と考えさせられたのを覚えてる。。
・世話をしないと死んでしまうという鬼気迫る設定があってこそのたまごっちだったのに
・死なせないように必死に世話するのが醍醐味だったんだけど
・ユーザの気持ちを汲み取りすぎた例
・かなりバイアスがかかった機能紹介に思えるけど、それはTVの報道の仕方に責任がありそう。そもそもかつても“気軽に命をリセットできる端末”の代名詞みたいな扱いだったことを思うと、外野から命の概念云々を言われる宿命のおもちゃなんだろうな。
・昔のたまごっちやっていて、言うほど「命の概念」は伝わってきてたか?
・命の概念、死の概念、を子どもたちに近づけない、とか、より遠い存在にしてしまおうとするこの風潮。いかがなものか。
・そう全然死なんのよね。だからお世話のしがいがなくてすぐ飽きてもたし、やっぱ我らが小学校くらいの時のケーたまら辺のがとても良い??
・流行りもの好きな父親が買ってきて家族で育て、留学中の私に「たまごっちが20歳を迎えたので赤飯を炊きました」と知らせが。命の大切さを教えてくれました
・ペットや赤ん坊はスイッチのON/OFFで好きなときにだけかまってればいい存在ではないのにね
・最近のは便利に便利にを追求しすぎて、つまらん。
・時代とともにゲーム事情も変わるのはわかるけど、なんだか悲しくなりますな。