例えば子供に「今、必要がないから電気を消してほしい」ときに「電気を消して」と言うか「今、電気が必要かな?」と言うか。ちょっとした違いだが、求める行動をそのまま言うのと、次の行動を考えさせるのとでは、子供の学びは大きく変わる。同じことをするにも考えさせる「ひと手間」は大事だと思う。
— 教師の意外なホンネ@オトナの学級会 (@kyokun_edu) 2016年2月25日
この発言には「結局大人の決めた答えに誘導している!」と多くの反発がありました
@kyokun_edu 「今、電気が必要かな?」が、ずいぶんと冷たい、嫌味な言葉に受け止められているようで申し訳ないです。教師が上から偉そうに言う姿がイメージされてしまうのでしょうか。純粋に、必要かどうかを考えて、判断のできる子供になってくれたらな、という思いで書きました。
— 教師の意外なホンネ@オトナの学級会 (@kyokun_edu) 2016年2月26日
一連の騒動に対して、下記ツイートが多くの人に共感されています
とりあえず人に教えるという仕事をしていて思うことは「考えてもらうためには『考えられるだけの材料を相手が持っているか』を教える側がきちんと把握していなければならない」ということ。例えるなら、青と白の絵具しか持ってない人に「どうすれば緑を作れるか」を聞いても考えつくはずないってこと。
— kentaro isaka (@isa_kent) February 29, 2016
青と白の絵具しか持っていない人に「どうすれば緑が作れると思う?」と問いかけて、青と白を真剣に混ぜている横から「なんで黄色を使わないんだ!」と突然怒り出すような人って、実は結構いるんですよ。そして、それをされると人ってどんどん「考えること自体をやめてしまう」ようになるんですよね。
— kentaro isaka (@isa_kent) February 29, 2016
青と白の絵具しか持っていないのに「どうすれば緑が作れるか?」と問われて、とりあえず青と白を混ぜようとすればまだいい方で、そもそも「混ぜる」ということを知らないことだってある。それを「なんでそんなことも出来ないんだ」と感じてしまう人って、あまり教育には向いていないと思います。
— kentaro isaka (@isa_kent) February 29, 2016
「考える」って、大雑把に一言にすると「手持ちの知識を組み合わせる」ことなんですよ。それによって正解が出るかどうかは「やってみるまで分からない」。ところが最近の教育は「◯◯するには△△で『なければならない』」と教えることが多くなってるから、子供たちは考えることが出来なくなるんです。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
要するに、今の日本の教育は「相手が自主的に正しい選択(≒教育する側が望む選択)をさせる」ことが主眼になってしまっているんですよ。最初に「正しさ」ありきで行われている。だから教育を受ける側は考えることをやめる。「答えを聞くまで何もしない」のが、一番怒られずに済むようになるから。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
「(多くの判断材料を持った上で)考えることによって正しい答えにたどり着くこと『も』ある」という話が、最初から「正しい(≒自分の望む)答え」を想定してしまっているから「考えれば正しい答えを出すはずだ」になっちゃってるんですよね。前提がそもそもおかしいことに気付けていないんですよ。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
ちなみに、青戸白の絵具しか持っていない人に、どうすれば緑を作れると思うかという質問を「してはならない」という話じゃないからね。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
青と白の絵具しか持っていない人に、どうすれば緑を作れるかと質問して、どうにも作れない様子を見計らって、実は色には他にも黄色があるんだということを「教える」と、たぶん今度は「黄色スゲェ!」ってなるだろうし、「他にも色ってあるのでは」と「考える」ようになるだろうなとは思うんですよ。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
とりあえず、自分が望む結果が明確なのであれば、それはそのまま伝えてその通りの行動をさせればいい。ただしそれは「指導」であって「教育」ではないということ。そしてそのどちらか「だけ」が「正しい」という話でもないってこと。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
あと、忘れちゃいけないのは「考える」ためには多くの材料があるに越したことはないけれど、逆に「行動する」ためには、余計なものはどんどん捨ててしまわなければいけないんですよね。この一連の過程を「無駄」だとする人が増えてきているから「正しいこと」が必要になってくるんですよ。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016
学校の勉強が出来る子というのは、実は「たくさんの知識を持っている」のではなくて「いらない情報を捨てるという判断が早い」んですよ。そして根は真面目な子供ほど、詰め込まれた知識を捨てられなくて混乱してしまって勉強嫌いになる。https://t.co/L0E2Mkp1X9
— kentaro isaka (@isa_kent) 2016年3月1日
豊かな経験が育むものは、何が「正しい」かを見極める力ではなくて「これだけは絶対にありえない」という判断力なんです。その判断力が付くことで、結果的に大きな失敗は減り、失敗しても素早く次の行動に移れるようになる。
— kentaro isaka (@isa_kent) March 1, 2016